「ここまで来たか」!? 政治は劣化、メディアも劣化
7月17日、特別国会で「改正」皇室典範と国旗損壊処罰法が成立した。高市早苗首相とすれば、宿願の二つを果たしたつもりだろうが、数の力を借りた強引な国会運営だった。保守の方向にまた進んだ現状を表すには、7月8日付毎日夕刊の吉井理記・オピニオン編集部記者のコラムで、自民党大会で制服自衛官が「君が代」を歌ったことについて引用した元航空自衛隊空将補の言葉がふさわしい。「とうとうここまで来たか」
私は「高市さんはよくやっている」と語る人たちに言いたい。初の女性首相で、確かに発言は分かりやすくはっきりしている。ただ、一体彼女が何を成し遂げたというのか。今回の二つの法律は本当に国民が必要としたものなのか…。こう言っても、首相を支持する「主力」の若者たちは、この欄はもちろん、新聞もテレビも見ないのだからどうしようもない。何か、何か回路はないものか。そう思いながら書いている。
ジェンダーだけの問題か
7月18日の在京紙はやはり皇室典範の扱いが大きかった。社説の論調はこれまで通り、「皇統を守る成立を歓迎する」とした産経以外は批判・懐疑的。普段は政権寄りの読売が「象徴天皇制の根幹を傷つけた」「多くの欠陥を抱えた乱暴な制度変更」と非難した。中立的な日経も「短い審議で多くの異論を残したまま可決されたのは極めて問題」と指摘。1面の客員編集委員署名記事は「日本政治の劣化を示してあまりある出来事」とまで書いた。
産経以外の紙面で目立ったのは「禍根を残す」と「象徴天皇制を揺るがす」というフレーズ。一方、産経の社説はメディアの一部で根強い「愛子天皇待望論」を批判した。全体として議論が女性・女系天皇の是非に矮小化された印象がある。産経の主張に賛成はしないが、天皇制はジェンダーの視点からだけで解決できる問題ではない。
「圧勝御礼のお中元」?
国旗損壊処罰法についての評価は、読売が6月19日社説で必要性を認めた以外はほぼ皇室典範と同じ構図。7月19日の社説で朝日は「違憲の声相次ぐ欠陥法」、毎日も「内心まで踏み込む悪法だ」と批判した。確かに言語道断の法律だが、残念ながら、国民を萎縮させる効果はありそうだ。問題の核心は17日付毎日朝刊で栗原俊雄・学芸部専門記者が述べた「『国を愛さない自由』もある」という言葉に尽きる。
二つの法案審議で感じたのは自民党内に熱が感じられないこと。衆院選を圧勝に導き、国民から支持の厚い「一強」高市首相の宿願だから、と半ばさめた感じでやっているのが読み取れる。いわば選挙で勝たせてくれたお礼のお中元か。特に国旗損壊処罰法など、本気で必要だと思っている自民党議員が首相周辺以外にどれだけいるか。だが、首相の宿願はまだ残っている。「スパイ防止法」、そして改憲。一方、内閣支持率は、以前の男性首相たちよりは高いが、時事通信の7月調査で初めて50%を割り込み、軒並み下落傾向。保守色の強い政策を推進する半面、物価高への対応が遅れているためだろうが、残りの宿願を果たすには、支持率がいつまでもつかがカギになるはずだ。
2冊の書籍から
近年の出来事で政治的、社会的に大きな意味を持っているのは、一昨年以来の兵庫県知事をめぐる問題。公益通報や〝おねだり疑惑〟など重大な課題を抱えた人が県議会百条委員会や第三者委員会の結論を認めないまま、出直し選挙で県民の多数に支持され、いまも知事の座にあることは社会的公正に反している。4月に刊行された『兵庫県告発文書問題』(岩波書店)の著者・奥山俊宏氏は元朝日記者の上智大教授。公益通報の専門家で、百条委にも参考人出席した。情報公開条例で開示された文書などを使って発端からの動きと報道を追っている。読んで思ったのは、こうした検証は地元紙など、メディアがやるべきだったということ。報道が当初知事寄りだったのは同書も指摘しているのだからなおさらだ。
その点では、6月に出た『兵庫県知事問題失敗の本質』(ちくま新書)の著者・小林和樹氏は、当時NHK神戸放送局の報道責任者。発端となった告発文書が送られてきたところから、知事側の動きを中心に取材経過をつづっている。ただ、真摯な姿勢は感じるものの、検証という意味では不十分と言うしかない。一例を挙げる。前から疑問だったのは、あれだけスキャンダルが出てくる知事なら、県政記者には問題発覚前に何らかの情報が入っていたはずだ。同書も、県庁内部に知事への不平不満があったことは「私の耳にもいくつも届いていた」と書いている。知事から県政記者の交替を求められたこともあったという。では、告発文書を読んだとき、それらのことと結びつけて考えなかったのか。そこに、重要な取材対象である知事との関係を重視した忖度(そんたく)はなかったか。どうも、肝心で微妙な点が抜けている気がして仕方がない。
私は、最大の失敗は、県議会が百条委などの結論を待たずに不信任決議をしたことだとこの欄に書いた。その決定的な手続きミスを問題提起できたかどうかがジャーナリズムの試金石だったが、私が知る限り、指摘はゼロだった。こう書く私も気づいたのは出直し知事選の後。えらそうなことは言えない。知事選に絡んでは、記者への深刻な個人攻撃もあった。この問題では、メディアの根本的な欠陥が露呈した。今後も当事者らによる継続的な検証が必要だ。
「質の低下」の一因?
「メディアの劣化」という言葉を至るところで見聞きする。残念なのは、それに反論できないことだ。6月号で最近の事件・事故報道に常識が感じられないと書いた。その一因に、地方在住の後輩ジャーナリストから聞いた話で気づいた。大規模地震が発生。メディア各社とも人手不足で報道以外の要員を現場に投入したところ、取材先へのトンチンカンな質問やチグハグな対応が続出。収拾がつかない事態に陥った。
新聞は地方の取材網を縮小。地方版は隣県などの話題も載せないと埋められなくなった。地方民放局の統合は現実問題。大きな発生ものがあれば、取材経験が乏しい若者たちが現場に入る。彼女ら彼らはプライドは高いから、必然的に無用の混乱や衝突が起きる。それが報道の質の低下につながっているのではないか。だとしたら、同じようなことは東京、大阪などの大都市以外ならどこでも起こり得る。業界の構造の変化に起因していて、簡単に解決する問題ではない。新聞の今後に曙光(しょこう)は見えない。