「何がどうなっているのか分からない」─。アメリカとイスラエルのイラン攻撃をはじめ、最近の出来事を見ていると、そんな気がしてくる。最大の「元凶」はもちろんあの超大国の大統領だが、報じるメディアにも問題がある。この世界の先が見えない。

大統領の発信にファクトチェックを

「身勝手」「無責任」「ホワイトハウスの戦争犯罪者」「極めて病んだ人物」「狂人」…。最近の紙面で見たアメリカのトランプ大統領を形容する言葉だ。思えば、3月の日米首脳会談で高市早苗首相は「イラン攻撃は国際法違反だからやめた方がいい」と言うべきだった。だが、メディアも含めた多くが、「それを言ったら怒る」と忖度(そんたく)して躊躇(ちゅうちょ)した。識者も「怒らせないようにうまく対応しないと」と言った。そんな目で見られる政治家がいただろうか。そして、そんな対応でいいのか。それは道理の腐敗ではないか。なってはいけない人物が大統領になってしまったとつくづく感じる。

4月7日付毎日朝刊オピニオン欄「メディアの風景」で武田徹・専修大教授はこう指摘した。「トランプ氏の発信=SNS(交流サイト)=は一方的な大言壮語や誤情報を含んでいる。修正も頻繁で、いちいち真に受けていると、むしろ戦争の実態を見失いかねない。にもかかわらず報道各社は、大統領がSNSを更新するたびに急いで紹介してきた」「報道が自発的に政府の広報役を買って出てしまう、過去の戦争でも見られた図式が繰り返されている」。一面の真実をついていると言わざるを得ない。大統領の発信をうのみにして振り回され、何が何だか分からなくなっているのが現状だ。異例だが、彼のSNS発信や発言は全てファクトチェックをする必要がある。速報する際はカギカッコに入れて注釈を付けるなど、未確定であることを示すべきではないか。

テレビ報道はやりすぎ

最近、問題だと思った事件・事故報道が二つある。一つは京都府南丹市で小5男児の遺体が遺棄された事件。発生は3月23日で、地元紙・京都新聞が26日付朝刊社会面ベタ(1段見出し)で「小5男児が南丹で不明」と顔写真入りで伝えたのが初報のようだ。同紙は30日付朝刊で通学用リュックの発見を報道。大阪発行紙や在京紙も31日付朝刊で「不明から1週間」として記事化した。テレビの報道番組やワイドショーが取り上げたのもそのころから。特に大阪局制作の番組が過熱。遺体が発見された4月13日などは、アメリカとイランの停戦交渉を押しのけて大騒ぎ。その前後も連日、捜索の模様を大々的に取り上げ続けた。

警察が詳しい捜査内容を公表しなかったこともあって、各番組とも警察OBら(中には捜査に詳しいとは思えない人も)を登場させて事件を推理。「男児が殺害され、犯人が遺留品をばらまいた」などの見方を前のめりに報じた。その間、SNSでは被害者の父親への疑惑や国籍などをめぐるうわさが飛び交い、テレビ報道はそれに輪をかけた形に。4月16日に父親が逮捕され、結果は大筋でその通りになったものの、過剰な報道の量とも合わせて、やりすぎの感は否めない。新聞も15日の自宅の家宅捜索で「容疑者不詳での死体遺棄容疑」と書いたのは読売だけで、見出しにもとった。憶測を避けるためにも、こうした点を慎重に押さえることが大事だと思うが…。

辺野古事故で問われたもの

もう一つは3月16日の沖縄・辺野古沖での同志社国際高校生らの死傷事故。修学旅行の「平和学習」で米軍普天間飛行場移設計画の現地を見学中、乗っていた船2隻が大波で転覆した。在京紙も17日付朝刊で大きく扱ったが、沖縄の地元紙・沖縄タイムスと琉球新報、高校の所在地の京都新聞、そして産経は連日、続報を出し続けた。転覆したのは辺野古の反対行動に使われる船で、事業登録がされておらず、教員も同乗していなかったなど、安全管理に多くの問題があったことが判明。ネット投稿サイトで、死亡した女生徒の遺族が「特定の政治的立場に偏った、あるいはそう誤解されかねない活動」として高校や報道に不信感を示したとの記事が各紙に載った。

終始厳しく批判したのは産経で3月18日に社説「『平和学習』はき違えるな」を掲載。4月10日付の記事で「当事者意識が欠如し、漫然と関わっていたとの批判は免れそうにない」と言い切ったうえ、事故1カ月の4月16日の3面記事でも、研修旅行の学習内容が偏向していると指摘した。これに対し琉球新報は事故原因の徹底究明を求めた18日の社説で「ネット空間に中傷が広がっている」と記述。「ヘリ基地反対協(議会)が運航する船で、生徒が新基地建設現場を洋上から見たことを指して、『生徒が抗議行動に参加した』と非難する動きがあるが、これは事実に反する。生徒はあくまで平和学習の一環で乗船したのだ」と主張した。さらに22日の社説「高校への誹謗中傷 理由なき攻撃許されない」でも「安全対策が極めて脆弱であったことが明らかになった。これは批判を免れるものではない」としたうえで、「目で見て考えるという実践の場を沖縄に求める平和学習の意義が失われたわけではない」と強調した。

都合が悪いと「シカト」?

しかし、高校やヘリ基地反対協へのバッシングは強烈で、平和学習や辺野古の反対運動に決定的な影響を及ぼしそうだ。さらに9月に行われる知事選にまで。産経の批判キャンペーンはそこまでにらんでのことだろうし、実際、3選を目指す玉城デニー知事は事故に配慮して出馬表明を一時延期した。4月16日の沖縄タイムス社説は驚くほど悲痛だ。「ネット上では平和学習そのものを『偏向教育』『反日教育』と見なし、沖縄の取り組みを頭から否定するような主張も相次いでいる」「辺野古の抗議行動も、沖縄における平和教育も、多くの課題を抱えているのは確かである」「沖縄の平和運動は、担い手の高齢化もあって影響力を失いつつある」「転覆事故に正面から向き合うことなしに立て直しはできない」

読売も3月19日の社説で論じたが、他の在京紙が掘り下げた検証記事を出さないのはいかがなものか。東京が4月9日の「こちら特報部」で取り上げ、朝日が4月16日付朝刊で長い記事を、毎日は4月18日に社説を載せたが、いずれも通りいっぺんの内容。私も平和学習の意義は認めるが、だからこそ、事故の検証と位置づけをきちんとすべきではないか。リベラルな新聞が「都合が悪いことはシカト(無視)する」というのなら、存在意義はどこにあるのか。

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