「暮らしと憲法」が消えた あっちでもこっちでも右往左往

米中首脳会談(5月14、15日)が終わったが、時間がたっても、どんな会談だったか、全体像が見えない。「とりあえず融和を演出したが」(15日読売社説)、「すがるトランプ氏、突き放す習氏」(17日付日経「覇権の暗闘(上)」)などの見出しで雰囲気は分かるが…。見るべきは21日付日経朝刊のニュースエディター「習氏『米国の世紀衰退』演出」程度。両大国のトップは自分たちに都合のいいことしか明らかにせず、メディアには想像力、分析力が乏しい。「世界が注目」と浮ついて大騒ぎしたのは何だったのか。そんなことなら会談前、12日付日経オピニオン欄で本社コメンテーターは「覇権争いを強めながらも、お互い大胆な攻勢をかけられない展開になる公算が大きい」と読んでいた。メディアの右往左往ぶりは今回もひどい。識者も使って会談を検証すべきだ。

9条はタテか弊害か

「時は来ました」。憲法改定に関して3月の自民党大会で高市早苗総裁(首相)が発した言葉には強いインパクトがあった。施行から79年。保守派の高市首相誕生と総選挙での自民圧勝で、改憲は現実になるように思われている。対して、各地の改憲反対集会には大勢の人が集まっている。ところが、憲法記念日5月3日の新聞紙面を見る限り、産経以外に熱気は感じられない。日経以外の在京紙は全て憲法ネタが1面トップだったが、朝日、毎日をはじめ自社の憲法世論調査結果と状況説明が主。東京以外は1~2㌻の特集を組んだが、それも世論調査分析が中心だった。その中で産経の1面トップは高市首相インタビュー。社説は朝日、毎日、東京は相変わらず護憲のトーンというより、はっきり言えば、改憲の流れを何とか遅くしたいのが本音か。読売は「世界の激動踏まえ議論深めよ」とし、日経も丁寧で建設的な議論を求めた。

日米首脳会談では、トランプ大統領からホルムズ海峡への自衛隊派遣を求められた高市首相が、憲法も含めた法律の制約をタテに応じなかった。朝日は3日付1~2面でこれを取り上げ、「9条を含む改憲の旗を振りながら、トランプ氏の要求を憲法でかわす」首相の姿勢を印象づけた。地方紙の多くも3日の社説で触れ、「9条は色あせるどころか、平和外交の切り札になると分かったはず」(中国)などと主張した。対して産経は首脳会談直前、官邸で掃海艇と護衛艦の派遣を検討したが、いずれも9条が「壁」となって見送られたと1日1面トップで報道。3日社説も「9条の弊害を直視したい」の見出しで「自衛隊派遣の選択を端(はな)から拒んでいる現憲法を『平和憲法』と呼ぶとすれば大間違いだ」と強く反発した。

信濃毎日は「憲法80年」

地方紙では、本記や世論調査など、共同通信配信記事が目立った。3日付社説は自社論説だが、それ以外の憲法記事は共同配信任せの傾向が顕著。その中で自社連載企画を構えたのは北海道「瀬戸際の9条」、信濃毎日「軍事研究と憲法」、沖縄タイムス「憲法見つめて」、琉球新報「憲法を書き換える前に」ぐらい。信濃毎日は1946年11月の公布から数えて「憲法80年」のワッペンを使用。複数の憲法企画を掲載して力の入れ方が際立った。痛感したのは在京紙、地方紙を通して、暮らしの中で憲法を捉える視点がほぼ姿を消したこと。8月の「平和企画」と同様、記者やデスクから憲法が肉体感として薄れたのだろう。

論議のカギを握るのは中道改革連合。3日の護憲集会に立憲民主は参加したが、中道と公明の姿はなかった。小川淳也代表の談話は「時代の変化に合わせて改憲論議を深めるべきだと考える」。4日付朝日は、中道は「国会前の改憲反対デモにも」「距離を置く」と書いた。15日には皇位継承問題で旧宮家男系男子の養子迎え入れを条件付きで容認。個人的な感想だが、この流れはデジャブ(既視感)だ。それは1989年、連合結成による労働組合再編。私なりの言い換えでは「右傾化」だ。

憲法「改正」という「お題目」

国会の憲法審査会では緊急事態条項が先行して議論されている。ここからは私見だが、改憲・護憲の〝本丸〟は9条であり、同条項はあえて言えば〝お試し改憲〟。その9条は2015年の安保法制で事実上骨抜きになっており、改憲派が当面求めているのは憲法「改正」という「お題目」ではないか。有権者もそれが分かっているから、改憲賛成が反対を軒並み上回る各紙世論調査でも「急ぐ必要はない」という意見が多数を占める。5月9日付朝日は、同紙と東大・谷口将紀研究室の合同調査で「最優先に取り組んでほしい政治課題」として「憲法(改憲・護憲)」を挙げたのは1%と報じた。

あらためて書くが、私は護憲派ではない。だから「自分の目の黒いうちは憲法に指1本触れさせない」という人たちの考えには同意できない。ただし、いま改憲派が言っていることはもっと賛成できない。

「捜査は常識」

昔、警視庁詰めを3年やったが、事件記者のまね事をした程度だと思っている。本当の事件記者(警察記者)は寝食を忘れてデカ(刑事)に接近するが、私にはそこまでの気はなかった。それでも身に染みた教訓はある。3年間の真ん中で起きたのが1982年2月8日の羽田沖日航機事故と翌9日のホテルニュージャパン火災。日航機事故は操縦で墜落させた機長が心身症とされ(のち統合失調症で不起訴処分に)、法適用をめぐってさまざまな論議があった。ある晩、捜査1課幹部の夜回りに行った私は「こういう手もあるのでは?」とかなり飛躍した見方を披歴(ひれき)した。口の堅い彼は黙って聞いていたが、最後にこう言った。「捜査は常識だ。常識を外れたことはできない」

京都府南丹市の小5殺害事件で逮捕された養父は当初、子どもを小学校まで送ったと言ったが、目撃者はなく、防犯カメラにも映っていなかった。そうであれば、証言が怪しいと考えるのが常識。警察が早い段階から疑いを抱いていたのは間違いない。それでも、「何でこんなに時間がかかるのか」と思われながら徹底捜索をするしかなかったのは、遺体が最大の証拠で、それが未発見だったからだ。ようやく見つかって自宅の捜索に踏み切った。養父の犯行の証拠を探すためだったが、法的には被害者の居宅としてで、被疑者不詳の死体遺棄容疑だった。そうした手続きをきちんと押さえていくことが誤報や虚報を避けるためにも重要だ。最近の事件・事故報道は、表面で右往左往するだけで常識が感じられない。

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