「無難」?「追従」? 首脳会談 首相は〝在庫一掃の大棚ざらえ〟?
この1カ月余り、アメリカとイスラエルのイラン攻撃や日米首脳会談など、大きな出来事があった。世界的には常識外れのトランプ・アメリカ大統領、国内では「一強」高市早苗首相の言動に左右され、先行きは不透明。これから日本と世界はどうなるのかと思う。メディアについても気になることが。高市首相誕生以後、首相や政権に批判的というだけで非難されることが目立つ。いまの新聞やテレビに欠点が多いことはこの欄でも言ってきた。しかし、権力の監視はメディアの重要な役割。それが否定されるのはどうみてもおかしい。SNS(交流サイト)の影響も言われるが、それは増幅しているだけで、根本は価値観の問題。メディアは真剣に捉えるべきだ。
首相発言に〝モヤモヤ〟?
トランプ大統領と高市首相の会談は日本時間3月20日。政府関係者は「成功」としたが、21日付在京各紙の評価は「おおむね無難に終わった」(日経社説)と、「米に追従 貢献難題」(朝日「時時刻刻」)との見方が入り交じった。明確な艦艇派遣要請はなく、各紙1面見出しは三分。「ホルムズ 米が貢献要請」の朝日と「米、ホルムズ航行貢献要請」の東京はアメリカ側から、「対イラン『法の範囲内で』」の毎日と「首相『国内法の範囲で』」の産経は日本側から、「中東情勢安定へ一致」の読売と「日米会談『中東』が宿題に」の日経は双方からの視点だった。
物議を醸したのは「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルド(トランプ大統領)だけ」という首相の発言。海外紙は「GOMASURI」と書いた。確かに、攻撃を仕掛けた張本人への言葉として適切ではない。「複雑な気持ちになった。現今聞かれない賛辞である」と日経1面コラム「春秋」。同じく東京の「筆洗」は「諸般の事情から強く出られない日本が発したヨイショも、一面の真理は突いている」と〝自虐的〟だった。本来、同盟国の首相としていさめるのが正しいと分かっているが、あの大統領に「国際法違反だからやめて」と言うのは難しい。だとしても、そこまでおもねらなくても、というのが正直なところだろう。その場しのぎの「対米追随」を続けている以上、仕方がないが…という〝モヤモヤ感〟が漂う。
極端すぎない? 産経の主張
アメリカとイスラエルがイランに対して「交渉途中 突き進んだ攻撃」(3月1日付朝日朝刊「時時刻刻」)をしたのは2月28日。在京各紙は1日付朝刊1面トップで報じ、2日付にまたがって社説で論じた。「世界に混乱を招く暴挙だ」(1日毎日)、「国際秩序脅かす暴挙だ」(2日東京)という批判や「米イスラエルのイラン攻撃を憂う」(1日日経)、「戦火の拡大を全力で回避せよ」(2日読売)という慎重論の中、産経だけは「『核放棄』で事態収拾せよ」(1日)とアメリカに寄り添った主張。国際法違反には触れなかったが、17日社説「首相は海自派遣の決断を」では、政府に「海自が船舶を最も守りやすく各国と協力できる法的根拠を採ってもらいたい」と求め、こう続けた。「もし、ことごとく派遣困難という結論が出るなら、それは日本の生存に反する。そのような結論を導く解釈は非現実的で間違いというほかない。政治が柔軟な発想で是正し、日本と国民を守る行動へ進めばよいのである」。「法律より政治」という論旨であり、それこそ政府への「全権委任」では? 公正を旨とするメディアとしては主張が極端すぎるのではないだろうか。
予算委審議に批判、中間、ハッパ
過去最大122兆円の当初予算案が3月13日、衆院を通過した。「年度内成立」を目指す首相の意向で、予算委では衆院選圧勝で自民党が取り戻した委員長が「職権」を乱発。審議時間は20年間で最短の59時間と「熟議」には程遠く、「大勝の慢心ではないか」(3日付朝日社説)、「『誠実な対応』言葉だけか」(7日付毎日社説)などの批判も。15日各紙社説は「イラン攻撃」と同工異曲。「議会政治 傷つける暴挙」(朝日)、「国会軽視する政権の横暴」(毎日)は政府・与党批判が強く、「拙速な予算審議を政治の前例にするな」(日経)もそれに近い。「日程闘争でかすんだ政策論戦」(読売)は「政府、与野党とも猛省すべきだ」と中間的。そして産経は「年度内の成立に努力せよ」と政権にハッパをかけた。
さらに首相は、高止まりの内閣支持率を背に「国論を二分する」政策を次々打ち上げている。インテリジェンス(情報収集・分析)機能の強化、「スパイ防止関連法制」、皇室典範と憲法の改定、旧姓の通称使用法制化…。ここからは勝手な想像だが、首相周辺はこう考えているのではないだろうか。「内閣支持率はいずれ下がる。次の衆院選では今回のような圧勝はあり得ない。それなら、いまのうちにできることは全部やってしまおう」。〝在庫一掃の大棚ざらえ〟と言うべきか。その成否は「高市政治」を国民=有権者がどう見るかにかかっている。
「災後」に意味はあるか
3月11日は東日本大震災から15年の節目。在京紙や被災地を抱える地方紙はこの日を中心に被災者や犠牲者、遺族のヒューマンストーリー、復興の現状、体験の継承、慰霊・追悼行事など、膨大な記事に紙面を割いた。政府が原発再稼働にかじを切ったことから東電福島第1原発事故の話題が目立ったが、個人的に言えば、岩手日報が11日付で「風の電話」や「漂流ポスト」など、毎年の「3・11広告」を16㌻一括掲載したのが印象的。一方、復興協賛の企業広告が目立つ半面、被災地を長期的展望で俯瞰(ふかん)した視点は希薄に感じられた。
12日付朝日朝刊「交論」で政治学者の御厨貴氏は、自ら提起した「災後」を再び強調。「私たちが災害の連鎖の時代に生きていることに気づかされます」と述べた。私は、震災は被災地域の従来からの課題である過疎化を加速し、10年~20年前倒しするだけで、「災後」に意味はないと言ってきた。その捉え方は正しかったと思う。
復興に約42兆円が費やされたが、11日付朝刊で日経は「被災3県の人口 1割減」、読売は「現役世代減少 全国の倍」と報道。12日付河北新報の「東北経済の震災復興状況」で、七十七リサーチ&コンサルティング首席エコノミストは「経済指標の数字から読み取れるのは」としてこう指摘した。「大規模な予算を投じて需要や所得(向上の環境)はつくれても、担い手の流出は止められないという厳しい現実だ」。その根本原因は、この国の政治が「東京一極集中」の是正に向き合わないまま、実質的に「地方切り捨て」を続けていることにある。