戦争中の兵隊と国家の関係は
スピルバーグが問うたもの
日記で読む昭和史(166)
NHKのBSがこの8月、スティーブン・スピルバーグ監督の米映画『プライベート・ライアン』を放映していたのを観た。20年ほど前だったかと思う、一度映画館で観たことがある。あまり覚えていなかったが、第2次世界大戦で1944年6月、連合国軍が行ったノルマンディー上陸作戦のシーンは圧巻で、記憶が鮮明に残っていた。
上陸しようとする連合国軍とこれを迎え撃つドイツ軍との死闘はすさまじく、その様子が延々と描写される。特に衝撃的だったのは、海岸に打ち寄せる波が傷ついた、あるいは死んだ兵士から流れた血で、鮮やかなピンクに染まっていたことだった。
映画を見た人にとっては蛇足だろうと思うが、ストーリーはこうだ。米陸軍参謀総長のもとに戦死者の報告が届く。その中にライアン家の4兄弟のうち上から3人が既に戦死し、残るは末弟で二等兵のジェームズ・ライアンだけだったことが記載されていた。
参謀総長は、4人全員を戦死させるわけにはいかないとして、俳優トム・ハンクス扮するミラー大尉のチームに、探し出し帰国させるように、と命じる。だが、ジェームズの生死やどこの戦線にいるのかも分からない。
戦死した兵の大量の認識票を調べるなどした結果、ようやく分かる。ジェームズは空挺師団の落下傘兵としてノルマンディー作戦の前日、ドイツが支配していたフランスに降下し、その後行方不明となっていた。ミラー大尉らはようやくジェームズを捜し出す。
参謀総長の命令を伝えると、ジェームズは「おれだけ(部隊を離れ)帰国するわけにはいかない」と帰国を拒否する。ミラーらはジェームズが所属する部隊と行動を共にする。映画ではミラー部隊内の確執、橋をめぐるドイツ軍との攻防などに続く─。
映画はよく作られた作品ではあるが、参謀総長の気持ちは分かるとしてもノルマンディー作戦という、欧州での第2次世界大戦を決する戦いを前に、また多くの犠牲が予想される前に、1人の二等兵のためにチームを組ませて救出に乗り出す命令を出すだろうか。
ライアンとは別名だが、4兄弟の話は実話だとされる。大量の死者がでることを予想して、参謀総長は1人だけでも救おうとしたのかもしれない。ただし、後半の末弟救出劇は明らかにフィクションだと思う。
二度と靖国なんかに
評論家・清沢洌の『暗黒日記』1944年7月22日。「瀬川栄二(株式取引所幹部)の話─先週、滋賀県の親戚で、1人息子を兵隊として失った家を見舞いに行った。靖国神社に祭られて光栄でしょうというと、その婦人が真向きになって、『大切な息子を失ったものが、靖国神社に行くと、乞食のように白砂利の上に据らされて、いつまでも頭を下げている。そんな馬鹿なところに(二度と)行くもんか』」と怒っていたという。
米陸軍参謀長と滋賀県の主婦には共通点があるように思う。戦時中であっても1人の人間の命の大切さである。太平洋戦争で日本軍は中国本土や南方方面と戦域を拡大し、そこを守ったり、損傷を補充したりする兵の不足に陥った。
43年、東条英機首相が実施した学徒動員。大学、高校、専門学校の文科系教育機関に在籍している学徒を戦場に送り込んだ。それには靖国神社をいわばフル活用する。戦死しても「靖国で会おう」を掛け声とした。
戦死者が出た家には「誉の家」と記された表札が贈られ、隣近所の敬意と同情を集めるようにした。特別攻撃隊(特攻)で敵船に突っ込み犠牲となるなどすれば、「二階級特進」とされた。死んでから特進しても何の意味があったのか。
意気上がらぬ動員学生
国鉄(現JR)関連で慰問に回っていた徳川夢声は10月9日、東京・上野駅前で異様な光景を目にする。動員されて出陣する学生の壮行会であった。夢声はその様子を『夢声戦争日記』に細かく記している。
「太鼓がとうとうと響いている。大小の円陣があちらにもこちらにも出来たり消えたり大騒ぎだ。早稲田大の応援歌、明大の応援歌、暁に祈る、露営の歌、野毛の山など次々に唄われたり、同時に二ツ聴こえたりする」
「送られる学生は日の丸の肩だすき、神妙にうつむき加減に、或いはテレて立っている。中には送っている連中より元気よく自分が音頭をとってわめくように唄っているのがある」
「八人ばかりに囲まれて歓送の歌を聴きつつ、時折指で涙をぬぐっているものがある。送る方も色々だが日の丸扇子を両手で持って入隊者の顔のあたりを踊るようにあおっているは見苦しかった」
夢声はこの様子を、大学野球の応援のようだと記すが、見送られる方は意気が上がっていなかった。「送られる学生は気がぬけたよう。少人数が肩を組んでアナウレシ、ヨロコバシと言いながら踊る。送られる学生はそれでもうつ向き加減」だったという。戦地に送られたり、特別攻撃隊となることが明らかな学生たちが、喜んでいるわけではなかった、と推察できる。
夢声はその足で夕方、右翼の大物・頭山満の通夜に行く。夢声は最初の妻を病気で亡くし、二番目の妻・静江の妹が頭山満の三男・秀三と結婚していた。その関係である。満が死んだのは静岡県御殿場の別荘で10月5日のことだった。
神がかりな言説
頭山の言動を厳しく批判し続けてきたのが清沢であった。頭山は米国を「けだもの」といってはばからない。「我に人雷、神雷 今こそ けだもの退治」などと朝日新聞に書く。「物からいへば、日本は金でも機械でもアメリカに寄りつけぬかも知れん。しかし、(略)日本は足りぬを補う力を持っとる。魂の力じゃ」(44年2月6日)
読売新聞にも「相手は『けだもの』、憎い奴め、自力で倒せ」(44年6月16日)などと語っている。戦時中の言論を支配したのは御殿場の頭山と熱海の徳富蘇峰だ。現実、現場から遊離して神がかりの言説をなしていた。
頭山の訃報を聞いて、清沢は書く。「愛国心の名の下に、最も多く罪悪を行った男だ。同時にまた最もよく日本人の弱点を代表している男でもあった」(『暗黒日記』10月7日)