『事件・裁判報道の「深層」を読む技術』 野田隼人、堀田周吾 著 (現代人文社=2750円)

逮捕イコール犯人ではないというのは、記者であれば誰もが最初にたたき込まれる「常識」だ。しかし、「逮捕」や「起訴」と報じられれば、多くの人はその人が犯人だと思うだろう。インターネットが広く普及した現在、こうした基本的な用語の正確な意味を知っておくことは、根拠のない臆測や陰謀論の拡散を防ぐためにも極めて重要と言える。
本書は、弁護士と刑事訴訟法の研究者である著者2人が、実際の事件・裁判報道を主な題材に、そこで使われる用語や司法プロセスについて平易に解説した入門書である。当初は呼び捨てだった逮捕者を、人権に配慮して1980年代から「容疑者」と呼ぶようになった経緯など、さまざまなトピックが分かりやすく説明されている。一般読者はもちろん、若手記者にとっても、刑事司法の流れや背景を知る上で非常に役立つ一冊だ。
SNSやネットニュースのコメント欄などを見ていても、逮捕を処罰の一種と捉えている人は想像以上に多い。「なぜこんな悪いことをした人が逮捕されないのか」といった書き込みは、悪質な犯罪に対する素朴な正義感の発露としては十分理解できるが、逮捕はあくまで「逃亡や証拠隠滅の恐れ」がある場合になされるものだという前提知識がもっと広まれば、こうした誤解も減るだろう。
本書でも取り上げられている「池袋暴走事故」では、ドライバーが元公務員だったことから、「『上級国民』だから逮捕されなかった」といううわさがまことしやかに広まった。実際には本書も指摘するようにドライバーが当時87歳と高齢で、けがで入院したため逃亡の恐れがなかったことなどが理由と思われるが、不正確な認識に基づく臆測が広まれば、誤った不公平感や、それに基づくバッシングなどを生み出しかねない。私たち報道機関も、漫然と前例踏襲で記事を書くのではなく、誤解を招きそうな内容に対しては補足的な記事を積極的に出すなど、常に対応を心掛けなければならないと自戒させられた。
一方、本書では事件報道に対する疑問点も多く挙げられている。被害者報道を巡って過熱するメディアスクラムや、事件をセンセーショナルな物語として単純化しているとの批判がそれだ。特に実名報道の必要性については随所で疑問が呈されている。
こうした批判は以前からあり、首肯できる部分もあるが、メディアスクラムなどの問題に関しては、私が記者になった二十数年前と比べても相当に配慮がなされるようになっているというのが率直な実感だ。まだまだ不十分な点はあるだろうが、理不尽な事故や犯罪によって命を奪われた人の悲しみや被害の大きさをきちんと伝え、再発防止につなげていくという報道の役割は今も昔も変わらない。実名報道の原則も、記事の真実性や検証可能性を担保する上で欠かせないものだ。ただ、ネットの普及によるデジタルタトゥーの問題は確かに深刻であり、特に軽微な犯罪については改善の余地があると個人的には感じている。
いずれにせよ、「事件・裁判報道に重要な意義があると考えるからこそ、法律実務と法学の専門的な視点から、不十分な点・改善を要する点などを提言した」とする著者たちと私たちの目指す方向性に大きく異なる点はない。本書をきっかけに、世の中の事件・裁判報道への理解が一層深まることを願っている。