『記者がたどる戦争』 北海道新聞社編 (北海道新聞社=1980円)


戦後80年。一口にそう言っても、その中身は多様だ。戦争体験者が100人いれば、100通りの80年がある。

そしてその取材は難航することが多い。私自身、昨年は戦後80年取材の責任者の1人として、元兵士ら「生き証人」に会うため全国各地に飛んだ。ただ記事が出るまでは苦労の連続だった。手紙は数え切れないくらい出したが、既に亡くなっている人も多数おり、電話やメールで断られ続け、途方に暮れた日もあった。

それだけに本書の取材の広さと深さには感服した。本書は2023年7月から北海道新聞で始まった連載をベースにしている。取材対象は記者の家族や親族が多いが、取り上げられる舞台は北海道や広島・長崎、沖縄といった日本列島に限らず、旧満州(中国東北部)、南洋諸島、シベリアなど世界に広がる。

そして、その体験は壮絶の一言だ。ある記者の祖父は旧満州から戻ると持ち前の快活さが消えており、晩年には精神を病んだ。「死の直前には、病院のエレベーターのボタンの押し方すら分からなくなっていた」といい、いわゆる「戦争トラウマ」を抱えていたとみられる。

ある記者は、シベリア抑留を経験した大伯父を紹介。極寒と飢えに苦しむ中、発疹チフスで生死をさまよった末に帰国したという。別の記者の大叔父は、飢えや敵襲に支配された赤道直下のニューギニア島で亡くなった。学童疎開を振り返り、「戦争って嫌だよ。家族を切り離しちゃうんだから」という亡き父の言葉を伝える記事もあった。

本書は「加害者」としての日本にも目を向ける。ある記者の祖父は、1937年12月に起きた日本軍による南京事件の現場にいた。祖父は戦後、従軍体験については一切語らず彫刻家として生きた。作品の一つという大仏は「慈愛に満ちた表情」を浮かべていた。この描写からも、祖父が南京で見聞きしたものの凄惨(せいさん)さは想像に難くない。

本書は戦時中のマイノリティーにも着目する。ある記事では旧満州の戦場で日本軍の先頭に立ったアイヌ民族の青年を取り上げた。幼少期に受けた差別体験から「誰にも負けたくない」との気持ちで戦ったとみられる。差別される側が差別する側に立って敵と戦う─。戦時中に米国で日系人が置かれたのと似た状況が日本にあったことを初めて知った。

戦争体験とはやや性格が異なるが、興味深く読んだのは、「ゾルゲ事件」の捜査に携わった曽祖父を紹介する記事だ。曽祖父は警視庁外事課におり、事件に連座して逮捕された仏通信社の元記者を取り調べた。本書は曽祖父の遺稿集に加え、研究者や元記者の息子へのインタビューも詳述しており、何度読んでも事件の闇の深さを感じざるを得ない。

マスコミ業界では通常、年間を通して平和報道に関わる記者はそう多くはない。いわゆる反戦・平和報道は8月に大量に出るので、時に「8月ジャーナリズム」とも揶揄(やゆ)される。ただ、本書の基となった連載は「戦後80年」の2年前から始まっており、本書を読めばそんな表現は見当違いということに気付くだろう。

連載の3分の2は、20、30代の若手記者が執筆したという。では、若き記者たちはなぜここまで、戦争体験者らの声を詳細かつ緻密に取材できたのだろうか。その答えは本書の帯に書かれている。「80年前の傷にそっと触れる」。記者として最も大切な姿勢だ。見習いたい。

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