『戦争特派員は見た』 貴志俊彦著
(講談社=1012円)


毎日新聞は2022年1月、3年後の戦後80年に向け、大阪本社が秘蔵してきた「毎日戦中写真」のデジタル化に着手し、併せてその成立の過程と内容の解明を本書の著者・貴志俊彦京都大学教授(現名誉教授)、渡邊英徳東京大学大学院教授との産学共同プロジェクトとして立ち上げた。その成果は2年後に、著者の毎日本紙コラム「戦中写真を読む」(全52回)となり、昨年、新聞博物館での企画展「戦後80年・昭和100年─報道写真を読む『1億人の昭和史』から『毎日戦中写真アーカイブ』へ」に結実した。この経過をまとめたのが本書である。

著者は前記コラムを基に、1937年7月に起こった盧溝橋事件以後を時系列で再構成し、追加分を書き下ろした。上海事件、南京事件など日中戦争とその拡大の経緯、太平洋戦争に突入し敗戦に至るまでの歩みと、それを毎日がどう取材・報道したかを、当時の紙面と、社内文書などから分かりやすく解説している。

2024年2月には戦跡を訪ね、日本軍銀輪部隊のマレー半島南下や、英連邦軍捕虜のシンガポール・チャンギ収容所への徒歩行軍をトレースし、暑さとのどの渇きのつらさを追体験している。

苛烈な戦線での取材は、報道側にも多くの犠牲者を生んだ。毎日では特派員91人中56人が亡くなったと報告されている。特派員の姿を記録した写真約400枚に着目し、その足跡をたどっている。

注目すべきは検閲と「不許可写真」について記した最終章。軍部と内閣情報局の検閲の実態を豊富な具体例で示し、不許可理由を説き起こし説得力がある。これも写真があればこそ可能だった。一方、不許可を忖度(そんたく)して写真を撮らないこともあった。「撮影された写真以上に、軍や新聞社によって隠蔽(いんぺい)された事実の意味こそ重いのではなかろうか」と結んでいる。

それにしても「毎日戦中写真」には敬服する。毎日では外地取材写真はすべて大阪毎日に集まる仕組みになっていた。終戦時、高田正雄・大阪写真部長は、「ネガは、私たちカメラマンの血のかよった分身である」として軍の廃棄命令に従わず、疎開させて、6万点以上のネガ・プリントと69冊の写真台帳を残した。

毎日はこれを基に67年『日本の戦歴』を出版。75年には『1億人の昭和史』シリーズに着手、3年間で本編15巻、80年までに別冊21冊を刊行、その後も切り口を変えて、総点数95、総部数1900万部を超えるロングセラーとなった。

朝日新聞は、東京と大阪で処分を実施したが、戦時中に天理図書館に疎開させた7万枚が結果として残った。戦後に引き取られ大阪市内の倉庫で埋もれていたのを、99年以降整理を進め、その成果は本紙の「写真が語る戦争」などに登場した。「富士倉庫資料」と呼ばれている。

一方、共同通信の前身の同盟通信は処分を断行。指揮した中田義次写真部長は後に「たとえ軍命令とはいえ処分したのは残念でならない」「しばらくたってから思ったのは、処分しなくてもよかったんです」と悔やんだ。彼我の差は大きい。

評者はこの20年間、戦時中の報道写真史を調べてきたが、写真が残ったことと並んで、毎日写真部をうらやましく思うことがある。それは『1億人の昭和史』の出版時点では、まだ撮影者の多くが存命で、直接、聞き取り調査ができたことだ。同盟写真部の後継である共同写真部には戦中写真は残らず、OBが集まり写真を検証する機会はほぼなかった。

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