目まぐるしく変わる英政権 「希望」を柱に政治を変える
7月20日、英国に新たな首相が就任した。黒縁メガネ、黒く深い眉、長いまつげが印象的なアンディー・バーナム氏(56)だ。この10年で6人目、2016年以降では7人目の首相となった。与党・労働党は24年夏の総選挙で圧勝し、14年ぶりに政権を奪回したばかりだった。当時の党首で元公訴局長のキア・スターマー氏が妻とともに官邸前で報道陣に手を振ったのは、ほんの2年前である。
政治トップが目まぐるしく交代する国の一つとなった英国で、いま「希望」と「国民の声を聞く」を掲げる首相の新しい政治が始まっている。
前政権が支持を失った理由
スターマー前政権に致命的な失策があったわけではない。しかし、政策転換や判断ミスが積み重なり、最後には有権者と労働党双方の信頼を失った。最初の「ミス」は、発足直後に発表された年金受給者向け冬季燃料手当の縮小だった。続いて障害給付を含む福祉費の削減を打ち出し、「高齢者や社会的弱者を守る政党」という労働党のイメージとかけ離れた緊縮策と受け止められた。いずれも強い反発を受け、最終的には大幅な修正を余儀なくされた。こうした「政策Uターン」はその後何度も繰り返された。スターマー氏が「この国をこうしたい」という政治的な構想を示し切れなかったことも大きい。5月の地方選では右派の改革党が歴史的な躍進を遂げる一方、労働党は惨敗。党首交代を求める声が強まった。
超スピードで政界トップに
対するバーナム氏は、イングランド北西部のグレーター・マンチェスター市長を9年間務めた。地方分権を主張し、今年6月の下院補欠選挙で圧勝。1カ月もたたないうちに労働党党首に無投票で選ばれ、その数日後には首相に就任。下院初登院の日は労働党議員たちが次々とセルフィー撮影を求め、「お祭り騒ぎ」と報じられた。
英国の首相は就任初日、官邸前の演台から国民に語り掛ける。スターマー前首相は準備された原稿を読み、几帳面に話すタイプだった。バーナム新首相は違った。演台を取り払い、マイクを前に台本なしで語った。しかも、歴代首相としては珍しい北部のアクセントだった。
語った内容も、それまでの首相とは趣が違った。ここ数年で数回の首相交代があったことを率直に語り、「私たちは十分ではなかった。もっと良くならなければならない」と、政治家を代表して非を認めた。そのうえで、この政治の悪循環を断ち切る「サーキットブレーカー」となり、「新しい政治モデルと新しい経済モデル」を築くと宣言した。
当面の切実な政治課題として挙げたのが生活費の高騰問題だ。「明日から、その具体策を示す」と約束した。さらに、ロンドンに集中してきた権力を地方へ移し、「国内のすべての郵便番号に届ける」と地方分権への決意を示した。国民を驚かせたのが、官邸の扉を背にして「最初の指示」として路上生活の解消を挙げたことだった。経済でも外交でもなく、最も弱い立場の人々への支援を最優先した。就任当日の午前中、すでにホームレス支援団体を訪れ、厨房を手伝っていたことも後で判明する。演説の最後、バーナム氏は「この瞬間を、英国が再び自らを信じられるようにする瞬間にしよう。希望を取り戻していこう」と呼び掛けた。
就任翌日には家庭用電気料金の付加価値税(VAT)を10月からゼロにすると発表し、続いて来年からのバス運賃上限引き下げ、パブやライブ音楽会場の事業用資産税20%削減など、生活に直結する政策を相次いで打ち出した。さらに、高齢者や障害のある人を支える介護・生活支援制度(ソーシャルケア)の抜本改革も掲げた。前政権時代に決定された受刑者の早期釈放制度を巡っては、被害者からの強い反発を受けて、制度の運用を一時停止し、レイプ犯や児童性犯罪者らを対象から除外する見直しを発表した。前政権であれば数カ月かけて「検討する」で終わっていたかもしれない場面で、即座に方向転換する姿勢は、この政権の特徴だ。
訴求力の背景は
バーナム氏はケンブリッジ大学では英文学を専攻し、2001年に下院議員として初当選。文化相のほかに保健相も歴任し、2010年と15年に党首選に挑戦したが落選。16年、新設されたグレーター・マンチェスター市長に転じた。運賃を抑えた公営バス網を導入し、路上生活者を大幅に減らすなど、市長として実績を積み重ねた。
3選を果たした人気の背景には、産業革命以来の南北格差がある。炭鉱や工場が姿を消したイングランド北部は、金融で栄える南部との格差に長年苦しんできた。こうした地域の不満を背景に、バーナム氏に「北の帝王」というニックネームが付くようになったのは、20年のコロナ禍だった。同年10月、マンチェスターへの厳しい行動制限を巡って、政府が示した6000万㍀(現在の価値で約131億円)の補償では足りないとして、9000万㍀(約196億円)が必要だと主張した。交渉は決裂し、政府は規制を強行したが、この時、「北部のためにロンドン政府と最後まで渡り合う政治家」という印象を残した。
声を上げられない人の側に立つバーナム氏の政治姿勢は、「ヒルズボラの悲劇」を抜きに語れない。1989年、イングランド北部シェフィールドのヒルズボラ競技場で、サッカーの試合中の群衆事故により観客96人が死亡。事故直後から警察は「酔ったサポーターのせいだ」と説明し続けたが、実際には警察自身の群衆管理に問題があった。2009年、文化相として20周年追悼式典に出席したバーナム氏は遺族から激しいヤジを浴び、この出来事を機に独立調査を後押しする。12年、調査委員会は警察の責任を認定した。
地方分権の構想は、マンチェスターに置く官邸の分室「ナンバー10ノース」として現実化している。夏休み明けには、生活費対策の第2弾に向けて国内を巡る対話ツアーを開始する予定だ。
改革党のナイジェル・ファラージ党首とバーナム氏は、ともに取り残されたと感じる人々の支持を競っている。ファラージ氏が排外主義へ向かうのに対し、バーナム氏は再分配へ向かう。その違いは大きいが、出発点には同じ不満がある。「希望」を核として、国民に目を向ける政治がどう進んでいくのか注目したい。