2026年4月から5月にかけて、中国の学術界では、「耿同学」(本名・耿洪偉)を名乗る動画配信者による研究不正の告発が大きな注目を集めた。4月9日、大手動画共有プラットフォーム「Bilibili」で、アカウント「耿同学講故事(「耿さんが語る」の意)」は同済大学生命科学・技術学院の王平元・院長が率いた研究チームが国際的な学術誌『Nature』に掲載した論文に疑義を示す動画を公開した。動画では、実験データにみられる数値の過度な規則性や不自然なパターンを根拠として、データ捏造(ねつぞう)の可能性を指摘した。

その後、5月12日までの36日間で、耿氏は南開大学、中山大学、上海大学などの研究者による研究不正の疑いを相次いで公表した。これを受けて、各大学は公式調査の開始を発表した。中でも同済大学は5月6日、研究不正を認定した上で、王平元院長の免職および筆頭著者の解雇を含む処分を公表した。さらに、南開大学や中山大学などでも調査や処分が進められ、一連の問題は中国の学術界全体を揺るがす事態へと発展した。

こうした告発活動によって、耿同学氏は一躍有名人となっている。耿氏は2020年、北京航空航天大学の生物医学工学博士課程に進学した。しかし、在学中に研究業績の量的評価を重視する「論文至上主義」の研究環境に疑問を抱くようになり、25年に中退した。その後は、「耿同学講故事」というアカウントを運営し、科学コミュニケーションを行う動画クリエイターに転身した。

興味深いのは、耿氏の活動が従来の「個人による内部告発」の枠組みを超え、学術不正の監視がネットワーク化されている点である。科学コミュニケーションを専門とするWeChat公式アカウント「知識分子」のインタビューにおいて、耿氏は自身の活動を単独の調査行為としてではなく、専門知識を有するファングループ、データ解析を支援する外部組織、さらには各種の情報提供者が連携する協働的なプロセスとして説明している。耿氏が運営する100人規模のファングループには、各分野の研究者や専門家も参加しており、不正の発見や検証に必要な知識や情報が継続的に共有されているという。

その中で特徴的な役割を果たしているのが、「5GH」という研究チームである。「知識分子」の報道によれば、「5GH」は研究活動の運営や評価を専門とする非営利団体であり、学術不正の調査もその活動の一部となっている。「5GH」は独自に開発した統計分析ソフトを用い、同一分野の多数の論文データから統計的な基準を構築した上で、その分布から逸脱する異常値や不自然なパターンを検出する手法を採用している。耿氏によれば、今回の告発の契機の一つは「5GH」からの連絡であり、同団体は論文データに見られる統計的に不自然な規則性を提示したという。

ファングループが情報の収集と初期的な選別を担い、外部の技術集団がデータの規則性を検出し、耿同学氏自身がそれを可視化して動画として発信する。このような役割分担に着目すると、耿氏の実践は、記者個人が収集・分析・編集・発信を担う従来の調査報道というより、分散的な協働によって支えられる「ネットワーク型調査報道」とも呼び得る構造を有している。

論文撤回でトップ、構造的問題抱える

耿氏の活動が注目される背景には、中国の学術界が抱える構造的問題がある。中国では、トップジャーナル掲載論文数やインパクトファクターが研究者評価の主要指標とされてきた。また多くの大学で欧米のテニュアトラック制を参考にした「非昇即走(Up or Out)」制度が導入され、若手研究者は一定期間内にトップジャーナルでの論文発表、研究費獲得、被引用数などの基準を満たせなければ退職を余儀なくされる。その結果、過度な業績競争が生じ、データ捏造や「論文工場」の利用といった問題が指摘されている。また、世界中の学術誌から撤回情報を収集・公開しているデータベース「Retraction Watch」の統計によれば、中国は論文撤回数が世界トップとなった。

民間人による学術不正の検証は、既存メディアが十分に機能していない現状を示唆している。近年、中国では言論統制の強化により、権力監視や社会問題の発見といったジャーナリズム本来の機能が制約され、その空白をインターネット上の個人メディアが部分的に補う状況が生じている。今回の耿氏の活動も、その象徴的事例と位置付けられる。しかし同時に留意すべきは、耿氏を巡る報道が過熱する中で、多くのメディアがその活動をホットイシューとして消費するにとどまり、構造的問題への検討が十分に行われていない点である。

これは単に言論統制の問題として結論付けることはできない。制度批判に踏み込む調査報道はもちろんのこと、大学の研究評価制度の欠陥や、大学内部の研究倫理委員会・査読システムの機能不全といった論点についても、体系的な検証報道は十分に蓄積されているとは言い難い。

また、中国において科学ジャーナリズムが十分に発展していないことも一因として挙げられる。『科技日報』や『中国科学報』のような科学報道の専門媒体は存在するものの、いずれも科学技術部や中国科学院などの行政機関や政府系研究機構を主管とする性格を持つ。そのため、国家プロジェクトや政策目標との関係性が強く、最先端技術の紹介や成果の発信には積極的である一方で、研究不正や制度的課題を検証・監視する機能は相対的に限定的であると言わざるを得ない。

主流メディアの公式サイトや新浪(Sina)、Tencentなどのニュースプラットフォームにおいても「科学チャンネル」が設置されている。しかしそれらは、科学技術を主に経済発展のエンジンとして位置付ける傾向が強く、研究成果の検証や学術不正のスクープといった調査報道機能は限定的であるとされる。

5月29日、耿氏本人は「抖音(TikTokの中国版)」アカウントが永久限流(アルゴリズムによる推薦制限)されたと公表した。耿氏の活動は新華社など複数の主要メディアによっても報じられ、一定の評価を受けている一方で、学術不正を告発する個人や民間組織が社会的影響力を拡大した段階で発信力を制限されるという事実は、科学コミュニケーションの構造的限界を示唆している。こうした状況は、ジャーナリズムの監視機能を科学分野にも適用する科学ジャーナリズムの重要性を改めて浮き彫りにしている。

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