日中対立の深層 「すずつき」領海誤侵入の衝撃
ボーン・上田記念国際記者賞受賞者講演会

日中が最も衝突に近づいた年

多くの方々にとって、2024年8月に起きた中国軍機による初めての日本領空侵犯事案は記憶に鮮明に残っているのではないだろうか。日本の防衛省が事案の直後に公表し、日本メディアが大きく報道したことが影響していると思う。この中国軍機の領空侵犯の約1カ月半前、海上自衛隊の護衛艦「すずつき」による中国領海誤侵入事案が起きていたことは日本政府が発表していないため、あまり知られていない。


海上自衛隊の護衛艦「すずつき」(中央)=2024年9月、長崎県佐世保市

海上自衛隊の護衛艦「すずつき」(中央)=2024年9月、長崎県佐世保市

私は22年12月から25年5月にかけて北京の共同通信中国総局で政治部特派員として活動していた。政治部で首相官邸、外務省、防衛省、公明党などを取材した経歴から、北京では日中両国間の外交・安全保障、インテリジェンスを主に担当していた。中でも、この日中間の安全保障を巡る二つの事案に強い危機感を持ち、取材に当たった。取材対象の一人は後に「2024年は日中両国が最も衝突に近づいた年だった」と振り返っていた。


二つの事案はいずれも偶発的な衝突につながりかねない性質のものだが、「すずつき」の領海誤侵入事案は、中国軍機による領空侵犯事案と異なり、発生から1年以上が経過した今も、日本政府はほとんど説明しておらず、いまだ真相は闇に包まれている部分が多い。国家安全保障局を中心に調査報告書がまとめられたという話も漏れ伝わるが、もちろんそれは公表されていない。世間に知られているのは、報道を通じて出てきた情報のみだ。今日は、この事案を通じて日中関係の現在と今後について考えていきたい。

一本の電話

24年7月4日は、とても暑い日だったと記憶している。北京は夏になると、40度近くまで気温が上がることもある。午前中、自宅で次回に書くルポルタージュ原稿の資料を整理していたら、ある人物から電話がかかってきた。この人物は、中国政府の外交・安全保障政策に関わる仕事をしているのだが、取材源の秘匿に関わるため、詳細な説明は控えたい。その人物とはそれまでに会食や交流会を通じて意思疎通を頻繁に行っていて、ある種の信頼関係を築いていた。

その時、電話口のその人物の声色はいつもと異なり、焦りがにじんでいた。「両国関係に資さない事案が起きた。ちょっと話せるか」と尋ねられた。その日の午後には中国外交部の定例会見があり、質問の準備もしなければならず、目先の仕事を優先して「折り返す」とだけ伝えて、電話を切ってしまった。その時はまだ、事態の重大性に気付いていなかった。

その人物に電話を折り返したのは夜だった。「両国関係に資さない事案」という文言が脳裏に残っていたため、念のため通信内容がエンド・ツー・エンドで暗号化され、秘匿性の高い通信アプリでかけ直した。来場されている皆さんは驚かれるかもしれないが、中国大陸では外国人記者の通話内容は盗聴されている可能性が高いため、電話での会話には神経を使っていた。

その人物から伝えられた話は、衝撃的な内容だった。「日本の海上自衛隊艦船『すずつき』が中国領海に侵入した。日本政府はなぜこのような挑発を起こしたと思うか」という問い掛けだった。

その問いがこの事案を知るに至った端緒で、詳しい日付や時間、場所、どれくらいの時間航行したかといったディテールは分かっていなかった。後から分かったのは、この電話があった7月4日に「すずつき」による領海侵入事案が起きていたということだった。

電話を切った後、この情報が公表されていないかインターネット上を検索したが、どこにも出ていない。かつて政治部で防衛省を担当していたため、中国の軍事動向で動きがあれば、日本の防衛省はすぐに公表することを知っていた。「日本側が何かを隠そうとしているのではないか」と疑い、取材を始めた。

当局に都合の悪い情報であっても、読者に知らせる価値があって、かつ公益性があると判断すれば、取材して報道する。それが自分の仕事だという信念を持って、これまで取り組んできた。その信念は、この時も変わらなかった。

そこから、徹底的な裏取り取材を進めた。記者倫理の中で最も大切にしなければならない取材源の秘匿に関わるため、具体的に誰から聞いたかを含め取材過程については紹介できないが、信頼できる複数の関係筋から確認を取った。

中国大陸では情報統制が徹底されており、当局者との面会もさまざまな工夫をしなければならず、取材は困難を極めたが、次のようなことが分かってきた。

「すずつき」は7月4日早朝、まだ陽が完全に昇っていない時間帯、浙江省沖の公海から領海外側の接続水域に近づきつつあった。中国側は直ちに「すずつき」に対して接続水域に近づかないよう無線やスピーカーで警告したが、「すずつき」から応答はなかった。自衛隊艦船が事前通告なく接続水域を航行することも極めて異例。公海と接続水域の境は陸地から24海里、約44㌔の距離だ。

「すずつき」は中国側の警告を無視し、接続水域からさらに領海に接近した。警告で減速するどころか、むしろ速度を上げて領海に突き進んだ。

海上自衛隊艦「すずつき」が中国領海に誤侵入した現場海域

海上自衛隊艦「すずつき」が中国領海に誤侵入した現場海域

その後、「すずつき」は中国領海に侵入し、約20分間航行した。領海は12海里、約22㌔。船上からは陸地を肉眼で確認できるほどの近距離だったはずだ。

さらに取材を進めると、浙江海事局が軍による実弾射撃訓練を理由に、7月4日午前6時から5日午後10時まで周辺海域を立ち入り禁止区域に設定していたことも判明した。日本政府は当然、この公告を把握していたとみられる。

「すずつき」は、なぜ浙江省沖に近づいたのか。取材対象者の一人は「中国による新型ミサイル発射実験が行われるとの情報があったためだ」と明らかにした。

1954年の自衛隊創設以降、事前の通告なく中国領海を航行するのは初めて。日中両政府はこの事案を「極めて機微だ」として、機密扱いとする方向で調整を進めていた。私は取材過程で資料のような文書は入手できず、全て口頭ベースの取材の積み重ねに基づき事実関係を確認した。取材を積み重ねて、ファクトを一つ一つ詰めていった。

自分の取材には自信があったものの、大きな反響、ハレーションも予想されたため、「もし万が一にもファクトに間違いがあったら、どうしようか」と弱気にもなった。それでも、偶発的衝突につながりかねない事案をなきものにしようとする日中両政府の方針に疑問を感じ、最終的には記事を出す腹をくくった。記者の取材を信用し、背中を押してくれた共同通信中国総局の上司ら同僚にも大変感謝している。

共同通信は24年7月10日、「海自護衛艦が中国領海航行、『深刻な懸念』伝達受ける、政府関係者、法的問題否定」との見出しで、第一報を1面トップ級で配信した。東奥日報が1面トップに掲載したほか、各地方紙が大きく報道した。

中国外交部は翌11日の記者会見で、事実関係を認めた。会見のポイントは①中国の法律では、外国の軍用船舶が中国領海に入るには中国政府の承認が必要②承認なく領海に入った外国軍用船舶には、法に基づき処置する③日本側の「違法で不適切な行動」に厳正に申し入れた④日本側は「技術的ミス」と説明した⑤徹底調査と再発防止の確約を求めた─だった。

この中国外交部の反応を見た時、国連海洋法条約で認められている「無害通航権」に触れた共同通信の報道を意識したのではないかと感じた。国連海洋法条約では沿岸国の安全を害する行為を行わない限り、領海を航行できる「無害通航権」が認められており、「すずつき」の領海航行も国際法違反に当たらない可能性が高いとみられると記事で書いたためだ。中国外交部の「違法で不適切な行動」との強いワードは、共同通信報道への反発のようにも受け取れた。

一方、日本側はどのように反応したのか。当時の林芳正官房長官は記者会見で「防衛省、自衛隊は平素からわが国周辺海域や空域で警戒監視活動をはじめとする活動を行っているが、詳細については自衛隊の運用に関する事柄であり、答えを差し控える」と述べるにとどめた。報道が出た後も、日本政府は部隊運用を理由に、事実関係について、あったかどうかも含めて確認を避け続けた。

「すずつき」領海誤侵入に関連して、11日に続報を配信した。領海侵入という前代未聞の事案が発生しながら、日中双方が防衛当局幹部間のホットライン(専用回線)を使用していなかったことを報じた。

この続報は、個人的には非常に重要だと考えている。なぜなら、ホットラインは衝突回避のための仕組みだからだ。

ホットラインは、自衛隊と中国軍の偶発的衝突など不測の事態を回避するための「海空連絡メカニズム」の柱と位置付けられている。07年に日中首脳が設置で合意したが、日中関係の悪化などを背景に準備は遅れ、23年3月末に回線設置が完了した。防衛省は同年5月、運用開始を発表している。

ホットラインを巡っては、24年8月26日に発生した中国軍Y9情報収集機による長崎県・男女群島沖の領空侵犯の際にも使用されなかった。こうした運用実態について重大な課題があると判断し、裏付け取材を経て9月4日に詳細を報じた。

日中海空連絡メカニズムでは、ホットラインだけではなく、艦艇・航空機間の通信も柱の一つに位置付けられている。この艦艇・航空機間の通信も、二つの事案が起きた時に機能しなかったことが分かっている。

二つの事案はいずれも日中両国の安全保障上、極めて重大な出来事だ。こうした危うい事態が起きても、海空連絡メカニズムを利用しないというのであれば、存在意義が問われる。形骸化しているとのそしりは免れないのではないか。紛争を未然に防ぐための仕組みが全く機能していない現状に危機感を持った。

「すずつき」はまだまだ全容が分からず、私のしつこい性格も相まって、補足取材を続けていた。

そして24年9月22日、「すずつき」の艦長が正確な位置を把握せず誤って領海侵入したと日本政府が中国側に伝達したとの情報をつかみ、特報した。海自は重大なミスがあったとして艦長を事実上更迭していたことも明らかにした。

この続報には、特別な思い入れがある。第一報では「領海侵入」とまでは踏み込まず、法的評価を曖昧にした「領海航行」との表現を用いていた。しかし、9月22日配信の記事では「領海侵入」に改めた。艦長の更迭が明らかになり、日本側が一定の責任を認めつつある状況が見えてきたためだ。単なる通過ではなく、結果として中国の主権が及ぶ海域に無断で入ったと評価するのが妥当と判断した。

もっとも、日本の報道機関が「自衛隊艦船が中国の領海に侵入した」と明記することには葛藤もあった。日本政府が沈黙を貫く中、現在の国内の対中世論を踏まえれば、共同通信が批判の対象となる可能性もあった。

私はかつて那覇支局に勤務した経験があり、その際は中国海警局船による沖縄県・尖閣諸島周辺での領海侵入を取材してきた。中国側による一方的な現状変更に強い憤りを抱いていた。それだけに、今回の「すずつき」の事案だけを曖昧な表現で処理するのは公平性を欠き、報道機関としての客観性にも反すると考えた。立場や国籍にかかわらず、事実は同一の基準で記述する─その原則に立ち返り、上司と協議の上で「領海侵入」との表現を採用した。

「すずつき」のこの続報は、中国国営放送・中央テレビ(CCTV)が共同通信を引用して後追い記事を出し、中国国内の微博(ウェイボ)と呼ばれる交流サイト(SNS)でも、「海自艦艦長更迭」がトレンド入り、非常に大きな注目を浴びた。第一報から一連の報道は日中両国だけではなく、米有力誌ニューズウィークをはじめ欧米メディアも共同通信を引用してこの事案を報じた。国際的なスクープとなった。

海上自衛隊艦「すずつき」への警告射撃を報じる米誌ニューズウィーク

海上自衛隊艦「すずつき」への警告射撃を報じる米誌ニューズウィーク

「すずつき」の取材の過程で、中国政府関係者から、24年8月の中国軍機による領空侵犯について「すずつきの領海侵入へのリベンジだ」と耳打ちされたことがある。裏付ける十分なファクトが得られなかったため記事化は見送ったものの、「すずつき」事案に対する中国側の強い反発がうかがえた。

中国軍機による日本の領空侵犯事案についても取材を重ね、中国政府が24年9月段階で「予期しない妨害」が領空侵犯の原因だったと日本政府に伝えていたことを11月2日に特報した。妨害の具体的な内容について中国側は説明を避けたため、自衛隊機による追跡を「妨害」と主張している可能性があるとする日本側の受け止めを記事に盛り込んだ。

こうした日中間の緊張した雰囲気は、24年10月の石破政権発足を機に「改善」へと一変する。中国で石破茂首相は日中国交正常化を実現した田中角栄元首相を師と仰ぎ、中国を含む周辺国を大切にする政治家だと受け止められていた。また、この時期には第2次トランプ米政権発足の可能性が高まっていたため、中国としては今後の対米外交に注力するため、近隣諸国とは安定した関係を築いておきたかったという思惑も透けた。

領空侵犯の詳細説明を拒んでいた中国国防部は石破政権の発足とともに態度を変え、日本側に説明を始めた。11月中旬には習近平国家主席が南米ペルーで石破首相と初会談。会談から4日後、日本外務省は、中国政府が領空侵犯の事実関係を認めた上で再発防止に努めると伝達してきたと発表した。

9月時点で「予期しない妨害」が原因だとしていた領空侵犯についても「気流の妨害に遭い、乗組員が臨時措置を取る過程で不可抗力により日本領空に短時間侵入した」と詳細に説明した。日本政府がこの中国側の説明を発表し、雪解けムードが広がった。ただ、日本政府内には「気流によって飛行に重大な支障が生じるとは考えにくく、大きくコースを外れることは想定しにくい」(防衛省関係者)と疑問視する意見も一部にあった。当時、スクランブル対応した航空自衛隊機には気流の影響は確認されなかったためだ。

いずれにしても、中国側が11月上旬時点より踏み込んだ説明を行ったことは事実で、首脳会談直後の動きであることを踏まえると、習近平体制下におけるトップダウンの意思決定の特徴が改めて浮き彫りになった。こうして、日中両国が戦後最も偶発的衝突に近づいた24年は終わろうとしていた。

2発の警告射撃

私は25年5月に北京特派員の任期を終え、帰国した。日中間の安全保障に強い危機意識を抱き、日本に戻っても継続取材を決めた。25年に入って取材を進めていく中、中国側が「すずつき」に対し、少なくとも2発の警告射撃を行っていたという情報をつかんだ。共同通信が最終的に記事として配信したのは、帰国後の25年8月10日だった。このスクープは北京特派員の先輩に当たる同僚とのチーム取材によって実現した。

警告射撃で「すずつき」に砲弾は当たらず、被害はなかった。航行用電子海図に公海と他国領海の境界を表示させるスイッチが入っていなかったことも判明した。操作ミスにより中国領海と気付かないまま航行していたことになる。

事実関係をもう少し詳しく説明すると、中国側艦船は、領海に向かって進む「すずつき」に対し進路変更を繰り返し求めていたとされる。領海に入る直前に警告として1発を発射し、侵入後にさらに1発撃って退去を促した。砲弾はいずれも中国側の艦船から発射されたとみられる。

この報道についても、日中両国で反響を呼んだ。中国外交部の報道官は「外国軍艦が中国領海に入るには中国政府の許可が必要だ。許可なく入れば法に基づき対処する」とコメントした。日本側では、平岩征樹衆院議員(当時)が質問主意書を提出した。内容は「すずつきが領海離脱を決定した直接の理由が中国艦船による警告射撃だったのか」を問うものだった。これに対し、政府は「お尋ねについて答えることは、自衛隊の運用に影響を及ぼすおそれがあるため差し控えたい」と答弁するだけだった。事案の有無を含め説明しようとしない日本政府の姿勢は一貫していた。

中国の急速な軍備増強

24年の日中間における安全保障上の対立激化は、なぜ起きたのか。背景にあるのは、中国による急速な軍事力増強と海洋進出だ。

中国は過去30年以上にわたり高い水準で国防費を増やし続けてきた。公表ベースの国防予算は、1994年から2025年までの約30年間で約32倍に拡大、この10年でも約2倍に増加している。26年予算案に計上した国防費は約1兆9095億元(約43兆4000億円)で、日本の防衛費の約4・8倍に当たる。

こうした財政基盤を背景に、中国は核戦力や弾道ミサイル、海空戦力の近代化を急速に進めてきた。とりわけ海軍力の拡張は顕著で、艦艇数は370隻以上とされ、世界最大規模に達している。主要な水上戦闘艦艇も140隻超に上り、空母やミサイル駆逐艦、フリゲート、揚陸艦、補給艦などの整備が進む。これにより、近海防衛にとどまらず、より遠方の海域で作戦を遂行する能力の構築が進んでいるとみられる。

近年、中国は沖縄と台湾を結ぶ「第一列島線」の外側まで活動範囲を拡大し、さらに「第二列島線」を含む海域でも艦艇や航空機を継続的に運用する能力の確立を目指している。自国近海にとどまらず、遠方の海空域でも軍事行動を展開できる体制の構築が進んでいる。

実際、中国軍の艦艇や航空機は東シナ海から沖縄本島と宮古島の間を通過して太平洋へ進出する行動を繰り返している。空母を中心とする艦隊が西太平洋で艦載機の発着艦訓練を行う事例も増加している。

台湾の武力統一

では、中国が急速な軍事力増強や海洋進出を強化しているのは、なぜだろうか。キーワードとなるのは、皆さんが予想されている通り台湾問題だ。

中国が台湾の武力統一を視野に入れる場合、米軍など外部勢力の接近を阻止し、自国周辺海域で軍事的優位を確保する必要がある。このため中国は、対艦弾道ミサイルや長距離ミサイル、潜水艦、航空戦力などを組み合わせ、敵軍の接近を阻む「接近阻止・領域拒否(A2/AD)」能力の構築を進めている。

背景には、1990年代半ばの台湾海峡危機の経験がある。当時、中国は米空母打撃群の展開に対抗する手段を十分に持たず、軍事的劣勢を強く認識させられた。この教訓が、米軍を近づけさせない能力整備の必要性を強く意識させたとされる。第一列島線の外側まで活動範囲を広げることは、こうした戦略を実効的なものとする上で重要な意味を持つ。

「すずつき」が接近した浙江省沿岸は、軍事的にも重要な地域とされる。中国軍の弾道ミサイル部隊の活動が確認されており、「空母キラー」と呼ばれる対艦弾道ミサイルの東風21や東風26の運用と深く関係しているとみられている。これらは米空母など大型艦艇を遠距離から攻撃可能とされ、A2/AD戦略の中核を担う兵器だ。日本政府にとっても注視すべき対象となっている。

台湾問題は今や日中関係を語る上で不可欠な要素となっている。高市早苗首相が「台湾有事は存立危機事態になり得る」と答弁したことで国内的に注目が高まったが、対立はそれ以前から着実に積み重なってきた。

22年、ナンシー・ペロシ米下院議長の台湾訪問に伴い、中国は日本の排他的経済水域(EEZ)に弾道ミサイルを撃ち込んだ。この事案を契機に、台湾海峡の問題が日本の安全保障とも直結するとの認識が広がった。同年12月に閣議決定された国家安全保障戦略に中国について「戦略的挑戦」と明記された。

24年5月に台湾で頼清徳政権が発足。就任直後、中国は「連合利剣A」と呼ばれる大規模軍事演習を台湾周辺で実施し、台湾を包囲する形で展開した。示威行動の域を超え、実戦シナリオの確認に近い内容と受け止められた。

こうした緊張の中で発生したのが、「すずつき」の事案である。中国の海洋進出が活発化し、台湾有事が現実味を帯びる中、安全保障を巡る日中間の対立が激化していることを「すずつき」事案が露呈したとも言える。よって、日本側が中国に説明するような単なる技術的ミスと片付けることはできない側面を持つと考える。

台湾を巡る日中のせめぎ合いはその後も続いている。海上自衛隊は台湾海峡の護衛艦通過を繰り返している。24年9月の「さざなみ」、25年2月の「あきづき」、同年6月の「たかなみ」がそれぞれ確認されている。いずれも政府は公表していないが、中国に対するけん制の意味合いが強いとみられる。台湾問題を巡る日中間の緊張は、今後も継続する可能性が高い。

日中両国は現在、偶発的衝突がいつ起きてもおかしくない状況にある。最大の問題は、衝突を回避するための仕組みが機能していない点だ。偶発的事態の防止を目的に構築された海空連絡メカニズムは、その柱であるホットラインや艦船・航空機間の通信が実際には使用されず、機能していない。それにもかかわらず、メカニズムに関する定期協議は2021年3月を最後に途絶えたままとなっている。

日本国内の取材では「中国が対話に応じない」との指摘が多く聞かれる。確かに、高市首相による台湾有事を巡る国会答弁以降、中国側の姿勢が硬化したのは事実。ただ、それ以前から北京で取材していた感覚では、中国が対話を拒否するという一方的な構図ではなかった。

実際には、日本側が対話を見送ったケースもあった。表向きは日程上の理由にしているが、中国と向き合うこと自体が国内政治上のリスクになり得るとの空気が日本政府内にあったのも事実だ。ある日本政府関係者は取材に「中国と話すと、後ろから身内の矢が飛んでくることもある」とこぼした。

政治家の発言や安全保障上の対立により、両国関係が緊張する局面こそ、対話が必要とされるのは論をまたない。首脳や閣僚、事務レベルを含むあらゆるレベルで率直に意見を交わす枠組みの再構築が必要だ。政府間がどうしてもうまくいかない場合、議員間や経済界の意見交換も重要になる。日中関係が安定した軌道に戻り、衝突回避に向けた対話を行える信頼関係の醸成がこれまで以上に求められている。(本稿は3月20日に行われた講演内容を要約、一部加筆した)

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