「見て取れる」と「透けて見える」 連載「メディアの日本語」(19)

メディア業界の日本語には、日常ではあまり使われない言葉が多いことは、この連載でも繰り返し紹介してきた。筆者も使ったことがありながら、なぜその言葉を使うのか、自分でも「謎」なものが多かった。今回は普通であれば、「見える」「わかる」とすれば済むところを、別の言葉に置き換えられるメディアの日本語を考える。

現場感を強調?

記者は現場に行き、自分の目で見たものを情報として発信する。「○○が見える」「○○であることがわかる」などと表現される。しかし、それをあえて「見て取れる」とする表現がテレビ報道を中心に増えていると感じる。次はその典型的な例だ。

「突然の大爆発。屋根は大きな音とともに吹き飛び。(ママ)破片が飛び散ります。近くにいた人が逃げ惑う姿も。住宅は跡形もなくなり、衝撃のすさまじさが見てとれます」(2025年12月20日配信・日テレNEWS)

「上空から撮影してみると、川の流れが止まったエリアが広い範囲に及んでいるのが見てとれる」(2026年2月17日配信、FNNプライムオンライン)

米国で起きたガス爆発事故や首都圏の水不足の様子を映像とともに伝えるニュースだが、その現場の映像を伝える際に頻繁に使われるのが、この「見て取れる」だ。いずれも映像を見ればわかるので、「わかります」か「見えます」と言う方が自然なのだが、そう表現する方が新鮮と思うほど「見て取れる」が多用される。

実は「見て取れる」という表現は、辞書では「見て取る」が標準形のようで、『三省堂国語辞典』(第八版)では、語釈を「見破る。さとる」とし、「にせ物と見て取る」などの用例を挙げている。共同通信社の『記者ハンドブック』(第14版)でも「相手の弱点を見て取る」を用例として挙げている。いずれも見えにくいもの、隠されているものを見抜くというニュアンスだろう。


見て取る」を「見て取れる」と可能形にした使い方は、データや数字を分析した記事で、「同じ傾向は、公示前に野党第1党だった中道改革連合の低迷にも見て取れる」(2月9日朝日朝刊、投票分析記事)のような使い方であれば順当だろう。

だが、映像では素人目にも一目瞭然なことを「見て取れます」と表現する記者やレポーターは多い。何かを見抜いたという自分に酔っているのか、と思うこともあるが、そこまで傲慢(ごうまん)ではないとしても、自分が日常とは違う事故や災害の現場に立っていることを強調するための表現として使っているように、一般視聴者には聞こえるだろう。

現在、「見ればわかる」ことを「見て取れる」と表現することがネットも含めたメディアでは当たり前のようになっている。

「(防犯カメラ映像で=筆者注)さらに10分近くが経過し、火は勢いを増していることが見てとれます」(2月20日配信、テレ朝NEWS)


Yahoo!ニュースを「見て取れる」で検索(一部)

Yahoo!ニュースを「見て取れる」で検索(一部)

「大谷選手は3年前の2023年大会でも決起集会の様子を投稿しており、2つの投稿からは3年間の変化が見てとれます」(3月2日配信、ねとらぼ)

と、ネット検索では石を投げれば当たるほどヒットし、いずれも「わかります」「見えます」で十分な箇所をあえて言い換えているように思う。

こここまで増えると、首をかしげるような使い方も出てくる。

「制服と制帽を着用し、後ろ手を組んでいる木村さん。劇中でもかけているサングラスの奥には、遠くを見つめる真剣な眼差しが見てとれます」(2月25日配信 BUZZFEED)

この記者は、サングラスをかけた木村拓哉の目の動きがどうやって見えたのだろう。

高市政権誕生で増幅

「見える」「わかる」の言い換えとして、「見て取れる」と同じくらいメディアで流行している言葉に「透けて見える」「透ける」がある。

この言葉は、透明なものや薄いものを通して内側が見えるというのが本来の意味で、クリオネという巻貝の一種について「体は半透明で、鮮やかなオレンジ色の内臓が透けて見える」(2026年2月27日配信、朝日)と説明した記事が代表的だ。朝日新聞のデータベースでは、1985年は、この物理的に見える意味で使われた2件だけしかなかった。最近では「黒い水着が透けて見えるプライベートショット」(3月6日配信、ABEMA TIMES)など、ネットやスポーツ新聞では女性タレントの服装などに関する表現にも多用されてはいる。

今回、問題にしたいのは、「内情が垣間見える」(『三省堂国語辞典』)という抽象的な意味での使われ方だ。このところ急速に多くなっており、「春場所を円滑に開催したいという協会の思惑が透けて見える」(2月27日配信、週刊女性PRIME)という使われ方が典型だ。

この使われ方では、「透けて見える」のは「思惑」「戦略」など内心を表す言葉で、実際には目に見えないものがほとんどである。思惑や戦略は政治の世界では表に出さないのが普通だから、この「透けて見える」は政治記事で多く使われることになる。

透けて見えるのは『中道改革連合』の成り立ちに、公明・学会の影が極めて色濃いという事実である」(1月29日配信、デイリー新潮)

今回、この用語を取り上げるのには、ある理由がある。今年に入って新聞各紙で高市早苗首相や高市政権に関連する記事に「透けて見える」「透ける」が登場する頻度が異様に高いことに気づいたからだ。

2026年に入っての朝日新聞の主なものを挙げる。

「(中略)選挙を急ぐ理由は何か。国会審議で野党の追及を受けてほころびが出る前、内閣支持率の高いうちに、与党の議席を増やしたい。そんな思惑が透けて見える」(2026年1月12日社説)

「野党各党が打ち出している消費減税への前向きな姿勢には争点つぶしの思惑も透けて見える」(1月20日記事)

「今回の衆院選で自民党と日本維新の会が公約に盛りこんだ旧姓使用の法制化も『家族観を変える改正は許さない』という発想が透けて見える」(1月29日付社説)


朝日新聞2月4日付・該当部分拡大

        朝日新聞2月4日付・該当部分拡大

「野党側に批判の口実を与えぬよう『余計なことは言わない』(別の幹部)という戦略も透けて見える」(2月4日付記事、見出しは「透ける」)

「防衛費増で常に問題視される財源をめぐって、武器輸出による経済成長理論でかわそうという狙いも透けて見える」(2月26日付記事)

同じく毎日新聞を見てみる。

「予算審議前の解散には、国会論戦で失点を重ね、有権者の支持を失うことを避けようとの思惑が透けて見える」(1月16日付社説)


「衆院選で埋没せぬよう、ダブル選との相乗効果で票を伸ばそうとする思惑も透けて見える」(1月18日付社説)

「特になぜ解散に至ったかについては、政策の是非を問うというより内閣支持率が高いうちにやってしまおうという思いが透けて見える」(1月22日付投書欄)

「金権体質の根深さを物語るものだ。巨大与党となったおごりや、高市首相へのそんたくも透けて見える」(2月27日付社説)

一方、日経新聞は「透けて見える」は少ないが、その代わりに「透ける」を多用している

「首相の人気が落ちないうちに議席増で政権基盤を強める狙いが透ける」(1月13日付社説)

「野党が結束して政権の主要政策に反対するのは難しくなるとの思惑が透ける」(1月15日付記事)

「政策比較よりも、高い内閣支持率をテコに選挙を勝ち抜こうとする狙いが透ける」(1月21日付記事)

「高市首相の解散の背景には、支持率が高いうちに選挙をすれば与党が議席を増やし政権運営がしやすくなるとの思惑も透ける」(1月23日付記事)

日経新聞3月4日付・該当部分拡大

      日経新聞3月4日付・該当部分拡大

「自民党の衆院選での圧勝を受け、政権内で埋没すると維新の意見を政策に反映しにくくなるとの危機感が透ける」(2月16日付記事)

「幅広い合意形成より結論を急ぐ姿勢が透けて見える」(3月4日付コラム)。

といった具合だ。

一方で、読売新聞や産経新聞にはこうした表現は少ない。


「見え透いた」のニュアンス

列挙してきた「透けて見える」「透ける」と書かれた記事は、普通に表現すれば、「○○という思惑の現れだろう」という推測記事になるのが自然だ。取材の結果、そうした思惑があることが断定できるのであれば、「○○という思惑がある」とストレートに書ける。

それを「透けて見える」あるいは「透ける」という描写になるのは何故なのか。そして、これは断定なのか、推測なのか。

高市首相は従来の首相と比べると、SNSなどでの発信のほかは報道陣の前で語る場面が少なく、1月初旬の解散報道後は、しばらく取材に応じなかった。与党関係者から肉声が伝わることも少なく、それがこうした表現につながった側面はあるかもしれない。

ただ、列挙してきた記事の多くは、当事者がその思惑をあまり隠していないように読め、とくに内閣支持率が高いうちに解散・総選挙に踏み切るという戦略は公然と語られていた事実だった。

透けて見える」とは語順が逆で、よく使われる言葉に「見え透く」がある。『三省堂国語辞典』は「本心や結果がよくわかる」という意味と説明し、用例には「見え透いたうそ」と、これまた誰もが知っている表現を挙げている。

ただ、「見え透いた」は語感がきつい印象を与えるのか、新聞記事で使われることは少ない。朝日新聞のデータベースを見てもここ40年ほどは、年間1、2件しか使われていない。

これに対し、「透けて見える」は1990年代から「政治的な意図が透けて見える」などと使われ出し、2000年代以降は毎年数十件単位で登場する流行語に成長した。

見え透いた」という表現は避けつつ、そのニュアンスも含んだ「透けて見える」という描写的な使い方を発明した記者がいて、皮肉も効いた言葉遣いとしてメディアに広まったのだろう。ただ、こうした表現は、先の「見て取れる」も含め、メディア側が無意識に発する高い目線からの物言いと受け止められることもあるだろう。

今回、メディアの代表を自負する新聞の多くは、衆院解散と自民の歴史的圧勝という予想を超える事態が立て続けに起きる中で、高市政権の動きを「○○が透けて見える」と表現することで、政権監視というメディアの立場を示そうとしたように映る。そう考えると解散をスクープした読売や高市氏支持の傾向が強い産経に「透けて見える」と表現する動機が少なかったのも納得できる。

今回の総選挙でも、投票行動へのSNSの影響力が強まり、オールドメディアの相対的な地盤沈下が指摘された。だが、オールドメディア側の業界特有の言葉遣いも、そうした傾向に拍車をかけているように思う。

「人気が高い首相の党に投票するのは当たり前」と思っている高市支持層が、「思惑が透けて見える」的な表現が繰り返されることに、高市氏と自分たち支持者に対する底意地の悪さを感じ、反発したとしても不思議ではない。メディアの思惑も見透かされている。

文字サイズ