トランプ革命は成功するのか 踏みにじられた戦後の国際秩序
シンポジウム(上)

公益財団法人・新聞通信調査会(西沢豊理事長)は「トランプに揺さぶられる世界─日本の選択とメディアの対応」と題して6月23日、東京都内でシンポジウムを開き、オンラインでも全国にライブ放映した。

トランプ米政権は建国250年の今年、ベネズエラ、イランへの力による攻撃に踏み切った。また関税を武器とした経済外交は、世界経済に大きな打撃となっている。第2次世界大戦後、アメリカがリードして築き上げた「紛争の平和的解決」、「自由貿易」という戦後の国際秩序は、そのアメリカによって踏みにじられ、世界は今、100年に一度ともいう危機に揺らぐ。


あいさつする新聞通信調査会の西沢豊理事長

あいさつする新聞通信調査会の西沢豊理事長

冒頭、西沢理事長は「本日の議論が激動する国際情勢を冷静に読み解き、日本の進むべき道とメディアの役割について考える機会となることを期待している」とあいさつ。第1部で北岡伸一東京大学名誉教授が「日本外交史から見たトランプ革命」と題して基調講演。第2部のパネル討議で、国際安全保障に詳しい小谷哲男明海大学教授、現代アメリカ政治外交が専門の三牧聖子同志社大学大学院教授が登壇、ニューヨーク在住のジャーナリスト津山恵子氏にビデオ参加していただき、川北省吾共同通信社編集委員を進行役に意見を交わした。パネル討議は9月号に掲載する。


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私は元来、日本の外交史をやっていて、その大きなターゲットはやっぱりアメリカだ。日本はアメリカとどう向き合ってきたのかということを振り返る時に、今のトランプ外交を考えるヒントは幾つもあるという観点からお話をしたい。

戦後秩序の2大原則

第2次世界大戦後、一貫して世界秩序を支えてきた原則が二つある。第一の原則は紛争の平和的解決。国際紛争が起きた時に外交か調停か裁判で解決し、力で解決するのはやめようというものだ。これを代表するのが国連である。第二の原則は貿易はなるべく自由にしようという原則だ。完全自由とはいかないが、なるべく自由な貿易をするのが、国際関係安定の基軸であるというのが長年尊重されてきた。この二つの原則が本当に危なくなっているというのはご承知の通りである。


基調講演の北岡伸一氏

基調講演の北岡伸一氏

紛争の平和的解決というのはロシアのプーチン大統領によって踏みにじられ、自由な貿易については、アメリカが一方的に関税を武器として使うという反対のことをやっている。

戦後の秩序はどういうふうにできたかということを、少し振り返ってみたい。第2次世界大戦中の1944年6月、ご存知の連合国軍によるノルマンディー上陸作戦というのがあった。この作戦が成功したことで、アメリカは勝ったと思った。すぐに戦後秩序の再建を始めた。

米ニューハンプシャー州の保養地ブレトンウッズにいろんな国の人が集まり、ドルを基軸通貨とすることを決めた。参加していたイギリスの経済学者ケインズは、一つの通貨が基軸通貨となるのはおかしいと反対したが、没落する大英帝国と日の出の勢いのアメリカでは勝負にならなかった。このドル本位制というのは、建前上は70年代に一応終わっているが、依然として世界の基軸通貨は断然、ドルである。

このブレトンウッズ会議は3週間で終わった。直ちにアメリカはワシントンにあるダンバートン・オークスという、あるお金持ちのお屋敷で、ダンバートン・オークス・カンファレンスというのを開いた。44年8月から断続的に何カ月か続いた。そこで決めたのが国連だった。

世界の安全のために国連、特に安全保障理事会が大きな役割を果たすということをここで決めた。最終的に決まったのは、翌45年6月だが、その時、最後まで残ったのが拒否権の問題だった。

もし拒否権がなかったら

当時、ソ連の側につく社会主義の国は、あまりなかった。ソ連は数の勝負になったら勝てない。だから大事な問題には拒否権をよこせと、どうしてもこだわった。こうして残ったのが拒否権だった。

今、世界は拒否権のためにまひしている。だが、拒否権がなかったらどうだろうか。国際連盟には拒否権はなかった。もし拒否権があれば、日本は満州事変の時にリットン報告書に対して拒否権を発動したと思う。そして日本は国際連盟に残ったかもしれない。どっちが良かったかというのは難しい。拒否権がもしなかったら、恐らくロシアは脱退したに違いない。拒否権は大国を封じ込めるための手段でもある。

歴史上初の残酷な戦争

アメリカは二つの戦後秩序の原則を、いち早くリードして作ったが、この二つの原則が成立した起源は、第1次世界大戦にある。第1次世界大戦は歴史上、初めて見るものすごく残酷な戦争だった。そこで戦争は違法だということができないか、みんなが考えた。そのために国際連盟規約の中に、勝手に戦争してはならないという緩やかなルールを定めた。

その後、戦争を国策の手段として使ってはいけないということを決めたのは、28年の不戦条約だった。ちなみにこの不戦条約を最初に破った国は日本。満州事変だった。だから、日本は戦争ではなく事変だと言っている。戦争と言うと不戦条約違反になる。日本より前にソ連も破ったという議論はあるが、堂々と破ったのは日本だった。

さて、国際連盟はできたが、アメリカが加盟しないという大きな弱点があった。もう一つは、第1次大戦が終わった後の戦後賠償がひどかった。第1次大戦の被害額はものすごい額で、とてもドイツが払えるようなお金じゃない。この時、こんなひどい賠償を取ったら世界秩序は崩壊すると反対したのが、やはりケインズだった。

ただ、そんな時代でも戦後秩序はまだ維持されていた。アメリカのお金がヨーロッパに流れ込んでいたからだ。

ところが、そこに起こったのが29年の大恐慌だった。アメリカがお金を引き揚げると、たちまちドイツ、オーストリアの銀行は倒産。賠償は払えない。賠償を取り立てるためにフランスは軍隊を侵入させる。こんなひどいことの悪循環が起こって、結局ナチスが台頭することになる。

戦後の反省を忘れたか

この時、アメリカは自国の産業を保護するために関税を上げた。この結果、大きな打撃を受けた国の一つが日本だった。アメリカへの輸出で一息ついていたが、30年代の初めには大学は出たけれどというひどい就職難に陥った。国内総生産(GDP)は大幅に落ち込み、特に農村の輸出は非常な打撃を受けた。日本の将来は絶望的だという空気が広がる中、軍が始めた満州事変が拍手喝采を浴び、日本の将来はここに開かれたように思う人たちがいた。

こういう反省から生まれたのが、貿易は自由な方がいい、むやみに関税を上げるべきではない、紛争は平和的に解決すべきだというルールだった。この二つの原則が生まれた深刻な背景を徐々に人々は忘れるようになって、とうとうロシアのウクライナ侵攻やトランプ政権の関税政策ということになっていった。

横取りと戦いの歴史

ここで少し、日本とアメリカの関係を振り返ってみたい。日本とアメリカの外交上の接触は結構多かった。アメリカが独立したのは1776年。独立13州は既に日本の3倍あった。しかし、人口は250万人から300万人。日本では徳川時代に人口統計があり、2500万人から3000万人だった。日本はアメリカの10倍あった。

明治の初めの頃に両国は3500万人ぐらいでほぼ同じになった。そこからアメリカはどんどん膨張していった。例えばルイジアナという土地は前フランス領だった。それを購入した。これによってミシシッピー川より西に行った。

アメリカがモンロー主義と言ったのは、この頃だった。われわれはヨーロッパの政治に介入しないから、ヨーロッパはアメリカ大陸のことに首を突っ込むんじゃないと言い出した。


シンポジウム参加者を前に基調基調講演する北岡伸一氏

シンポジウム参加者を前に基調基調講演する北岡伸一氏

その頃、フランスやスペインはアメリカ大陸の中に植民地などを持っていたから、そういうことはやめてくれと言ったのだ。そしてまもなくアメリカ人がメキシコ領だったテキサスに入っていった。どんどん入っていって、われわれはメキシコの中にいるのは嫌だと言って独立。独立したら直ちにアメリカの中に入った。簡単に言えばアメリカがテキサスを略奪したようなものだ。

それから13年後の1848年、メキシコとアメリカの戦争が起こった。この結果、今のカリフォルニアとかニューメキシコ、アリゾナなどの土地を獲得。メキシコはその領土の半分を失った。その翌年には西海岸で金鉱が発掘され、アメリカ人が押し寄せた。これで一気に西海岸までアメリカ領になった。

フロンティアを求め海外へ

そのわずか5年後の53年、マシュー・ペリー提督が黒船を率いて日本に来ている。そこから7年後、批准書交換で咸臨丸がサンフランシスコに行った。今日のアメリカの原型である南北戦争が起こったのは1860年代だから、それよりもっと前にアメリカはもう日本と接触していた。アメリカはどんどん西へ行き、そして海に出会い、太平洋を越えて日本と出会った。

90年にはアメリカ国内にフロンティアは大体なくなった。しかし、他のフロンティアはあった。それは海外だった。98年にはスペインと戦争。スペインがキューバでひどい政治をしているというのが理由だった。本当のところは戦争をしたかったからということだと思う。

実は新興帝国のアメリカと、衰えたといえども名門の帝国スペインと、どっちが勝つか世界は注目した。この時にアメリカが勝つと知っていた国がある。それはスペイン。絶対勝てないと分かっていたから、丁寧な外交をしたが、アメリカはとにかくけんかを売りに行って、戦争を始めた。

結果的にキューバを保護国にした。フィリピン沖でも戦争になってフィリピンを獲得した。アメリカは悪いことをしたと言われるのが嫌なので、お金を払って買う形としている。

パナマ運河をスパイした日本

西半球では20世紀初め、コロンビアの一部だったパナマに運河を造ろうという話が起こった。だが、コロンビアは言うことを聞かない。アメリカはパナマ住民を扇動して独立運動を起こさせ、独立したパナマと条約を結びパナマ運河を造った。

ここに非常に興味を持った国の一つが日本だった。というのはアメリカの中心はやっぱり大西洋側だ。海軍も大西洋側にある。日露戦争以降、日本の仮想敵国の一つはアメリカだった。もしアメリカと戦うとしたら、アメリカの船はパナマ運河を通ってくる。だから日本海軍はしばしばスパイを放って、この辺の情勢を調べさせていた。

一理あるが一理しかない

この頃、時の大統領セオドア・ルーズベルトは、モンロー主義のバージョン2と言って良いと思うが、アメリカはヨーロッパに介入しないから、ヨーロッパはアメリカに介入しないでほしいと言い出した。そこから進んで、アメリカ大陸には介入するという話になった。その典型が、このパナマ運河の建設だった。

パナマ運河は当時の最新の技術で建設し、ずっとコントロールしてきたのはアメリカだった。カーター政権のときに返還したが、アメリカにはパナマ運河は自分たちが造って、自分たちが整備した。他のパナマとは違うという意識がずっとある。その延長上でトランプ大統領は運河を返せと言い始めた。だから、一理はあるが、一理しかないと言ってもいい。

沖縄返還時と同じロジック

実はパナマ運河返還時のキーパーソンは、国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーだった。パナマで反米運動が起こると、その中にパナマ運河があって、これをアメリカがコントロールしているよりも、返してしまって、パナマ全体が親米になった方がいいのではないかと考えた。

このロジックは沖縄の基地返還と同じだった。沖縄で基地反対運動が盛り上がる中で、無理やり沖縄基地を維持するよりは、日本に返してアメリカに対するいいイメージを作り、日米関係を良くした方がいいというふうに考えた。

私もパナマ運河を実際現地に見に行って、2008年に政府の要人と会うまでは、このことを知らなかった。パナマはパナマ運河返還を実現するために、日本の沖縄の基地返還交渉を結構勉強していた。日本に使節団も派遣してきている。

消えたデモクラシー、自由

さて、トランプ大統領は25年12月に出た国家安全保障戦略(NSS)の中で、自らドンロー主義ということを言い出した。モンロー主義を最初に出したのがモンロー大統領、その次のバージョン2がセオドア・ルーズベルト大統領。バージョン3が自分だというので言った。

私はこれを読んでちょっとショックだった。NSSというのはアメリカ外交の基本で、すごく重要な文書だ。だが、今回のNSSは、慎重な検討の跡が見られない安っぽい作文で、こんないい加減なことを書いているのかと驚いた。

彼らの中心は明らかに西半球が中心、南北アメリカだ。そう見ると、すぐそばのグリーンランドはアメリカのもの。パナマ運河は返せ、ベネズエラを潰せ。キューバもできれば潰したい。カナダはアメリカの51番目の州。そういうことを考えているのは昔から同じだなと思う。

NSSにはデモクラシーとか自由とか、そういうことがほとんど出てこない。NSSも変わったなというのは私のちょっとした感慨だった。しかも、そこではキリスト教が非常に重視され、白人が重視されている。これは世界のリーダーが言うことかと疑問に思う。

トランプとルーズベルトの違い

ある意味でトランプ氏の元祖はセオドア・ルーズベルトだったかもしれない。ちょっと似ている。私はルーズベルトには好感を持っている。日本に対しては好意的な人だった。ストレニュアス(Strenuous)・ライフ(奮闘的生活)と言うか、自分で努力して前途をかき開くということに好意を持っていた。だから明治維新以来、発展してきた日本が好きだった。新渡戸稲造の武士道を読み、柔道を自分でもやった。


講演を聴く会場参加者

講演を聴く会場参加者

日露戦争の時も軍国専制主義のロシアよりも日本に好意を持っていた。アメリカの利害から考えても、ロシアが満州に出てくるよりは、日本がやった方がまだましだと考えていた。しかし、日本が日露戦争に勝った後、傲慢になりはしないかと警戒。日本を威圧しようと世界一周の大艦隊を派遣した。われわれは大海軍国だと、太平洋にも関心を持っていると、分かっているなというのを見せるためだった。

ただ、日本が満州で力を伸ばそうとしているのは、あまり邪魔しない方がいいという意見だった。死活的利害には手を触れないようにしようと。アメリカの死活的利害の一つは、アメリカを白人国として維持することだというので、アメリカに来る日本人民を排斥するということもやった。

では、セオドア・ルーズベルトとトランプ氏はどこが違うか。ルーズベルトはパワーバランス、勢力均衡というものを知っていた。あることをすればどういう反作用が起こるかという力の限界を知っていた。しかし、トランプ氏はそれを知らない。安倍晋三元首相から聞いた話だが、トランプ氏は日露戦争を知らなかったという。

トランプ氏の無知には驚かないが、日露戦争を知らないというのは、東アジアのパワーバランスを理解していないということだ。そういう人とわれわれは付き合っていかなくてはいけない。

国務長官も大統領秘書

もう一つ付け加えたいのは、アメリカでは専門外交が非常に未発達だということだ。19世紀まではアメリカの外交官は領事の方が偉かった。領事はアメリカ市民の保護やビジネスの保護を行う。日本の幕末に活躍したのはイギリスやフランスは外交官だが、アメリカはタウンゼント・ハリス。領事だった。

当時、アメリカの外交官は上院議員の推薦でなることができた。コネ採用だ。外交官試験が始まったのは20世紀の初め。最初は本当にプリミティブで、職務分担はABC順だった。例えばキューバ、コスタリカ、チャイナを同じ人が担当していた。当時の中国は帝国主義の主戦場で、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本が外交戦を展開していた。そこに普段キューバなどを担当している人が何の役に立つのかというと、役に立たない。

それじゃあんまりだから専門家を養成しようというので、1908年に国務省極東部という地域別組織ができた。ただ、外交官1、2人とタイピスト、それぐらいの小さな組織だった。しかも、同年末に成立したルート・高平協定のような大事な協定も極東部は全く知らされていなかった。それほど専門官僚の地位は低かった。

大統領がとにかく偉くて、国務長官だろうが何だろうが、はっきり言えば秘書に過ぎない。いつでもクビになる。「ユー・アー・ファイアド」(お前は首だ)というのは、トランプ氏の有名な言葉だが、これはアメリカの伝統でもある。

親中反日になった大統領

セオドア・ルーズベルトの後を継いだ大統領はウィリアム・タフト。同じ政党から出てきた後継者だが、政策は全く違った。タフトの時代にはアメリカは満州に進出しようとして日本と随分もめた。

タフトの後を継いだ大統領はウッドロー・ウィルソンで、政治学者だった。学者は時に観念論になってしまう。中国で起こった辛亥革命について、とうとう中国も帝政を終えて共和制になった。王様のいない国になった。これを支えて行かなければならないと考えた。でも、実態は、中国は袁世凱の帝国だった。

中華民国がすぐに立派な国になれるわけではないのに、これを持ち上げて留学生を呼んで教育して、奨学金を出した。そうするとイメージが悪化するのは日本である。日本は中国をいろいろ抑えつけているというので、ウィルソンは親中反日になった。

その時の国務長官はブライアンという有名な政治家だったが、あまり力を持てなかった。中国駐在の公使になったポール・ラインシュはこれまた政治学者。やっぱり理論先行で、現実を見ていない。日本にいた大使のガスリーという人は、アメリカの政治家で外交は素人。大体、アメリカの大使というのは大統領のお友達か、選挙でお金の寄付をした人だ。

この時あった不幸なことは、日本が中国に21カ条の要求をした。中身はあまり感心しないし、やり方も良くなかった。一番良くなかったのは、アメリカを普通の国だと思ったことだ。

当時の加藤高明外務大臣は、ガスリー大使やブライアン国務長官を完全に説得している。しかし、彼らをいくら説得しても駄目なのだ。大統領がうんと言わなければアメリカは動かない。結局、21カ条は大混乱になり、ウィルソンの反日政策は続いていった。

専門外交官外交制度が未発達というのは、今も同じである。アメリカの大使は大体、大統領に巨額の寄付をした人だ。日本ではそんなことはあり得ない。われわれから見れば、そんなのは賄賂ではないかと思う。日本は官僚性が自立性を持っている。それは時々行き過ぎるが、あまり弱いのもいかがなものかと思う。

関税は違憲、戦争は不人気

さて、トランプ革命は成功するのか。私はしないと思う。私がトランプ氏の成功は続かないと思うのは、中低所得者の支持がいつまでも続くのかは非常に疑問だし、移民を排斥したら本当は困る人がいっぱいいる。関税政策も最高裁で違憲だという判決が出たし、戦争は不人気だ。トランプ氏は国際法には拘束されない、私を拘束するものは私の良心だけだと言っているが、そんなものがあるのかと思う。彼をとどめることができるのは、マーケットと選挙でのポピュラリティーだけ。それが落ちてきている。

もともとアメリカができた時に、建国の父祖たちは憲法の在り方をいろいろ議論した。その時に、一人のリーダーが多数で選ばれて強い力を持ったら、ものすごく力が強くなりすぎないかという不安に対して、彼らが作ったのが三権分立制度だった。立法府と行政府と司法を分ける。だからアメリカでは違憲判決をぼんぼん出す。日本の最高裁は違憲判決をほとんど出したことがない。

もう一つは、州と連邦の関係。これを建国の人たちが議論して作ったのが、ザ・フェデラリストというアメリカ政治学の古典だ。ただ、それを超えたものが起こっている。

それはSNS(交流サイト)も含めたメディアで、子供のSNSを禁止しようという動きがあるが、政治家にも禁止すべきじゃないか。トランプ氏がイランとの合意は近いと言ったら株は上がる。これで大儲けしている人が、彼の周辺にいるはずだ。

西太平洋連合のすすめ

最後に日本は何をするべきかということだが、アメリカとの関係は維持せざるを得ない。だが、アメリカ以外との関係も強化したい。例えば岸信介元首相は日米安全保障条約改定をやったが、国連やアジアとの関係もとても重視した。中曽根康弘元首相もそうだ。

私が提唱しているのは、西太平洋連合のすすめといって、韓国、日本、東南アジア諸国連合(ASEAN)、バングラデシュ、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋島しょ国を、一つのユニオンにすることだ。

同盟ではなくてユニオンにする。ヨーロッパに欧州連合(EU)があるように、いつでも集まって、いろんな議論をできるようなものを作ったらどうかというのが、私のこの10年ほどの主張だ。

国連にいたときにEUはいいなと思ったのは、毎週2回ぐらい集まって食事しながら、いろんな問題を議論している。お互い、あの国は何を考えているかツーカーだ。そういうことを日本でもできないだろうか。

大事なのは平等性

今、世界で大きな顔をできる国は、超大国か、あるいは国が集まるしかない。どういう国が集まればいいか。主権平等、法の支配と民主主義、自由貿易、頻繁な意思疎通。こういうのができる国が良いと思う。西太平洋は経度も違わないし、いつでも集まれる。来週は沖縄でとか、セブ島にしようとか、バリ島にしようとか。国連では毎週会える。

大事なのは平等性だ。日本は1980年代に経済的にはアジアで超大国だったが、福田赳夫元首相が打ち出した福田ドクトリンなんかで対等の付き合いをやってきた。だから私が言っている西太平洋連合というのは、アメリカ、中国、インドを入れないというコンセプトだ。彼らはアメリカファースト、チャイナファースト、インディアファーストの国であり、主権平等ではない。お互いさまという意識がない。われわれは小さな国とでも対等に付き合いますということでやっている。

戦後秩序復活のリード役に

こういう国との関係を強化して、一緒に議論して、ワンボイスで提案をしていく。東南アジアにはインドネシア、マレーシアというイスラム教の国もあり、これで中東ともつながることができる。

現に「包括的および先進的な環太平洋経済連携協定」(CPTPP)が中南米まで行っているように、あるいはイギリスも参加しているように、こうした主権平等は世界に広がることができる。日米同盟を強化しながら、こういう関係を強化していくことで、何とか最初に挙げた戦後の二大原則を呼び戻すためのリードをすべきではないか、というのが私の提案である。(本稿は6月23日に行われた講演内容を要約、一部加筆した)

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